はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一
何かを達成するために力を入れ続ける時間とは違う、握っていたものを話す時間を持ちたいと思います
頭の中は、過去や未来の心配でいっぱい。一日に一度、冥想で荷物を下ろしてみませんか

呼吸を整える。体を動かす。そして、もう一つ、私が大切にしているのが冥想です。
人間は、考える動物ですね。時間があれば、何かを考えています。
昨日の会話は、どういう意味だったのだろう。家族のことは大丈夫だろうか。仕事の相手はどう思っただろう。あの時、別の言い方をすればよかった。
頭の中には、過去も未来も、他人の目も、自分への注文も詰まっています。
その荷物を、一日に一度、いったん下ろしてみませんか。同じ考え、同じこだわりを抱えたまま、何日も過ごさずに、今日、少し離れてみるのです。
私は、頭の中を「空じる」と表現しています。冥想行法は、そのために大切にしている方法です。
何も考えない状態を力ずくでつくるという意味ではありません。今まで握りしめていたことを、少し緩める。そこから始めます。
荷物を下ろすというのは、家族や仕事を大切にしなくなることではありません。大切だからこそ、考え続けて疲れた自分にも、休む場所を用意するのです。
手に持った荷物なら、重くなれば置こうと思いますね。ところが、頭の中の荷物は、見えないまま持ち続けてしまいます。「今だけは、ここへ置いておこう」。私は、そんなつもりで冥想に向かってよいと思っています。
何かを忘れるために、自分と戦う必要はありません。いったん置く。また必要な時に考える。そういうゆとりを、自分に許してあげたいのです。
動いて、休んで、また動く。呼吸とともに、足先から顔まで少しずつ緩めていきます
私がヨガで指導する時には、体を無理なく動かすことと、休むことを繰り返します。
座っても、立っても行えますが、初めは横になったほうが、力を抜きやすい方もいます。
呼吸をしながら、ゆっくり体を伸ばす。そして休む。また伸ばして、休む。前屈などを行う時も、形を深くつくることより、息を止めず、無理をしないことを大切にします。
ヨガでいうシャバーサナでは、仰向けになって休みます。動いた後、ただ休む。その時に、どこが緩んだか、まだどこに力が入っているかを感じます。
つま先、ふくらはぎ、太もも、腰、背中、肩、首。そして顔。足先から頭のほうへ、少しずつ気持ちを向けていきます。
顔にも、案外、力が入っています。眉間や口元を、いつも固くしていないでしょうか。そういうところまで、丁寧に気づいていくのです。
動きと休みを繰り返すうちに、呼吸が穏やかになり、気持ちも落ち着いてくることがあります。自然に、じっとしていたい。静かに休んでいたい。私は、そんな状態へ近づくように進めています。
体を伸ばす時に、どこまで届くかばかり見ていませんか。人と同じ形ができるかより、今の自分がどんな感じで動いているかに、目を向けてみてください。
動いた後に休むと、さっきより楽なところや、まだ固いところに気づくかもしれません。はっきりした変化が分からない日にも、慌てなくてよいのです。自分の体を感じる時間を持ったこと自体を、大切にします。
動くことだけを練習するのではなく、休むことも練習する。力を出すことだけでなく、抜くことにも気づく。その両方を、私はヨガの時間の中で大事にしています。
声に出せば、吐く息が自分に聞こえる。数える声を、力みに気づく手がかりにします
指導の中で、声に出して数えてもらうこともあります。
例えば「いち」と、息に声を乗せてみる。音として聞こえるので、今、どんなふうに吐いているかが分かりやすいのです。
途中で力んでいないか。急いでいないか。自分にとって、無理のない長さはどのくらいか。
声が出ている間は、息を吐いています。息を止めているのではありません。私は、その音を、自分の呼吸に気づく手がかりにします。
だんだん力みが減って、楽に吐けるようになる。すると、体の力の抜き方もつかみやすくなることがあります。
長く出す競争ではありません。深くしよう、長くしようと頑張り過ぎれば、また緊張してしまいます。呼吸も声も、心地よくできる範囲で行います。
冥想中に考えが浮かんでも、失敗ではありません。気づいたら、そっと呼吸へ戻ればよいのです
全身の力が少しずつ抜けてきたところで、私は、頭の中も休ませるように言葉をかけます。
今までの習慣。過去の失敗。誰かとのトラブル。これからの心配。今ここで、全部を解決しようとしなくてよいのです。
考えが浮かんだら、「ああ、また考えていたな」と気づいて、呼吸や体の感覚へ戻ります。
「何も考えてはいけない」と命令する必要はありません。考えが出てくるたびに失敗だと思えば、冥想が、また一つの課題になってしまいます。
眠りに入りかける時のように、静かに休めることもあるでしょう。落ち着かない日があっても構いません。その日の自分の状態に気づくことも大切です。
私は、何かを達成するために力を入れ続ける時間とは違う、握っていたものを離す時間を持ちたいと思っています。
ここは、大切なので、もう一度お話しします。考えが浮かんでも、冥想に失敗したわけではありません。浮かんだことに気づいて、そっと戻る。その繰り返しでよいのです。
昨日も同じ心配をした。今日もまた考えてしまった。それでも、「また駄目だった」と、自分に厳しい言葉を重ねなくてよいのです。「今、心配していたんだな」と気づき、今の呼吸に戻ってみます。
私は、冥想を、自分を上手に管理するためだけの課題にしたくありません。いつも何かを求められている自分が、少し、その要求から離れられる時間にしたいのです。
「人はどう思うだろう」を、いったん脇へ。自分の本当の声を聴くことが、私のいう自己解放です

冥想を通して、私がとくに大切にしたいのは、自己解放です。
とらわれ、こだわり、引っかかり。「こうしなければならない」「世間が許さない」「人からどう見られるだろう」。そうしたものに、私たちは自分で自分を縛っていることがあります。
いったん、それらを脇へ置いてみる。今すぐ答えを出さなくてもよいから、自分の心に耳を澄ませてみるのです。
自分は、本当はどうしたいのだろう。
何をしている時に、喜びを感じるのだろう。
これからの時間を、どう生きたいのだろう。
私は、その時間を「魂との対話」と表現しています。
いつも頭の中に響いている声が、自分の願いとは限りません。「他人はこう思うはずだ」と考えて、その想像の声に合わせて生きていることもあるでしょう。
静かになって初めて、自分の内側の声が聞こえてくる。その声を大事にして、自分の人生を自分で歩く。私にとって、冥想は、そんな生き方につながるものです。
「自分はどうしたいのか」と聞かれても、すぐには言葉にならないかもしれません。長い間、周りの都合を優先してきた方なら、なおさらでしょう。答えを急がなくてよいのです。
今日は何をすると、少しうれしいだろう。どんな時間を過ごすと、ほっとするだろう。初めは、そういう身近な問いからでも構いません。
自分の声を聴くことは、人の声を全部退けることではありません。人を思う気持ちと一緒に、自分の気持ちも大事にする。そのために、とらわれから少し離れてみるのです。
欲望が尽きなくても、心の釣り合いは育てられる。怒りだけで心をいっぱいにしないために

人間の欲望は、限りがありませんね。
もっと認められたい。もっとよい暮らしがしたい。人より上に行きたい。望みがあれば、それに伴う葛藤も生まれます。
だから私は、普段の生活では「中道」という考え方も心に置いています。
私なりの実践としては、感情が一方へ大きく傾いた時に、反対側の気持ちにも目を向けてみることです。
腹が立ったら、許す心を考える。憎らしいと感じたら、相手を大事に思っていた気持ちも思い出す。相手の立場を想像し、自分の受け止め方も振り返る。
かわいさ余って憎さになる、といいますね。近いところにある気持ちだからこそ、一つの感情だけで心をいっぱいにしないようにしたいのです。
これは仏教の教義すべてを説明するものではなく、私が暮らしの中で大切にしている捉え方です。何でも許し、自分を犠牲にするということでもありません。必要な距離を取ること、自分を守ることも含めて考えます。
そうした心の使い方には、練習が要ります。体の動かし方と同じように、日々の小さな場面で、少しずつ身につけていくのだと思います。
怒りが生まれることと、怒りをずっと持ち続けることは、同じではありません。腹が立った自分を否定せずに、その後の時間をどう過ごそうかと考えてみるのです。
すぐには許せない日もあります。その日は、距離を取ったり、誰かに話したりすることが先かもしれません。もう少し落ち着いてから、別の見方ができることもあるでしょう。
真ん中へ戻る道は、一つではありません。自分を追い込まず、気づくたびに少し向きを変える。私は、中道を、日々の中でそうして練習していきたいと思っています。
地位や財産が増えれば、心も豊かになるのでしょうか。感謝する心、人を思う心も育てたいのです

私たちは、外から見える力を高めるために、よく努力します。
地位を高くしたい。財産を増やしたい。人から認められたい。よい生活をしたい。学んで、力をつけたい。
それらが喜びになることはありますし、暮らしを支える大切なものでもあります。ただ、それが増えれば、自動的に心まで豊かになるのでしょうか。
大きな権力を持つ人であっても、心の穏やかさや、人を思う気持ちは、また別のものだと私は思います。
内側の幸せを支える力には、感謝する心、人を認める心、許す心、誰かのために働く心があります。
どんな時でも必ず明るくいなさい、ということではありません。つらい時にも、自分を支え、人とのつながりを保つものを、心の中に育てておきたいのです。
外から見えるものを得る努力とともに、自分の内側を育てる時間も持つ。それが、年齢を重ねるほど大切になると感じています。
何かを手に入れた時のうれしさも、確かにあります。でも、次に欲しいものができると、そのうれしさだけでは落ち着かなくなることもありますね。
その一方で、人に親切にしてもらってありがたいと思ったり、誰かの喜ぶ顔を見て、自分もうれしくなったりすることがあります。私は、そういう心の動きにも、幸せの大切な部分があると感じます。
外側を整えることに加えて、何をうれしいと感じる心を育てるか。年を重ねた今、私は、その問いを、これからの自分の暮らしにも向けています。
人を動かすのは、肩書だけではない。自分の力を、周りの喜びにもつなげたいと思います
大谷翔平さんのように、人柄でも多くの人の心を引きつける方を見ると、私は、人を動かすものは肩書だけではないのだと感じます。
どれほど大きな立場に立つかと、その立場で何を考え、どう振る舞うかは、別の話ですね。
自分だけがよければよい。自分の組織だけ、自分の国だけが豊かになればよい。そういう方向へ気持ちが偏ると、周りとのつながりを損ねてしまうのではないでしょうか。
私は、みんながよくなる道を考えてほしいと思っています。指導する立場の人にも、私たち一人ひとりにも、同じように必要なことだと感じます。
自分の力を、人の喜びにもつなげる。誰かを押しのけて得る満足だけではなく、周りと喜びを分かち合える生き方を考えたいのです。
好きで取り組んだことが、誰かの喜びにもなる。私は、そんな「三方よし」の生き方が好きです
「三方よし」という言葉があります。
自分にとってよい。相手にとってもよい。そして、世の中にとってもよい。私は、この考え方が好きです。
自分のやっていることが、あなたのためになる。そして、みんなのためにもなる。そのことで、自分の心まで満たされる。そんな生き方です。
野球でよいプレーをすれば、見ている人が喜ぶ。よい歌を歌えば、誰かの心に届く。よい本を書けば、読む人の助けになる。
初めから大きな社会貢献を掲げなくてもよいのです。自分が好きで取り組んだことが、結果として、誰かの喜びになっている。そういう形もありますね。
自分のしたいことをしてよい。その中で、人を傷つけず、人や自然との関わりを大切にする。私は、自由に生きることと、周りを思うことは、両立できると考えています。
大きなことをしなければ、人の役に立てないのでしょうか。私は、そんなことはないと思っています。目の前の一人に丁寧に接することも、相手の話を聞くことも、その人にとって大切な時間になるかもしれません。
好きなことを楽しみながら、その楽しみを少し分け合う。自分が経験してきたことを、誰かに分かりやすく伝える。私が、こうして原稿を残したいと思っているのも、その一つです。
自分の喜びと、人の喜びを、いつも取り合いとして考えなくてもよいのです。両方が育つ場所を探してみる。私は、そういう生き方に、これからも楽しみを持ちたいと思っています。
生まれた時から受け取っていたものがある。それが私にとっての「足るを知る」につながっています

少し、大きな景色を思い浮かべてみてください。
空気がある。大地がある。水がある。海や川があり、緑豊かな森がある。
生まれた時から、私たちは、その中で生きています。
世界中の頭のよい人たちが集まっても、この自然を、一から同じようにつくれるでしょうか。私たちが、どれほど頑張っても簡単につくれないものに、日々、支えられているのです。
ヨガを学ぶ中で、私は「すでに与えられているもの」に目を向けることを教わりました。足りないものばかり数えている時には、見えなくなっているものがあります。
もちろん、暮らしに必要なお金や住まい、食べ物、支援など、現実に不足して困っているものを軽く見る話ではありません。
それでも、自分を支えているものが、何もないわけではない。空を見て、水を飲み、誰かと話す。その中に、すでに受け取っているものを感じられることがあります。
もっと欲しいという気持ちと共に「ありがたい」と感じる心を持つ。それが、私にとっての「足るを知る」につながっています。
朝、窓を開けたら、空気が入ってくる。水を飲める。外へ出れば、空が広がっている。あまりに当たり前なので、いつもは意識しないことですね。
だからこそ、私は、何度でも思い出したいのです。まだ持っていないものを考える前から、自分を生かしてくれているものがある。努力するより前に、受け取っていたものがある。
もっと欲しいという気持ちがあってもよい。その気持ちと一緒に、今あるものをありがたいと感じる心を置くのです。欲しいものがあるから、今の自分は何も持っていない、ということにはなりません。
生まれた時から受け取っていたものがある。私にとっての「足るを知る」は、そこへ気持ちを戻すことでもあります。空や水や緑を眺めるひとときに、そのことを思い出せたらよいなと思っています。
できなくなったことだけを数えずに。今の自分を受け入れ、その自分に合う楽しみを育てます

年齢を重ねれば、体は変わっていきます。
筋肉が弱くなる。以前ほど速く動けない。若い時と同じようにできないことが出てくる。私自身も、その変化の中にいます。
そこで、できなくなったことだけを数えていたら、毎日が寂しくなってしまいますね。
一方で、経験を重ねたからこそ、人の気持ちが分かることもあります。受け入れる力、感謝する気持ち、喜びを見つける心は、これからも育てていきたいと思っています。
今の自分を、自然な変化の中にいる一人として受け止める。そして、その自分ができる楽しみを見つける。
散歩が楽しい。食事がおいしい。音楽がうれしい。家族や友人と話せた。そうした喜びを、自分の生活の中に置いていくのです。
生きることを喜びながら生きる。老後の幸せを考える時、私は、その心のあり方を大切にしたいと思います。
若い頃の自分と比べれば、できなくなったことも見えてきます。でも、今日の自分が喜べるものまで、なくなったわけではありません。
遠くまで行けなければ、近くの景色を楽しむ。長くできなければ、短い時間を味わう。今の自分に合わせて楽しみ方を変えることも、自分らしく生きる工夫だと思うのです。
先ほどの「足るを知る」も、ここにつながります。失ったものだけで自分を測らず、今、受け取れる喜びにも気づく。そうして、これからの日々を、自分にとってうれしい時間にしていきたいのです。
痛む場所を診ながら、なぜ今この状態なのかを考える。私は、その人の暮らし全体を見ています

食べ物の話から始まり、水分、気、感情、呼吸、運動、冥想へと話してきました。そして、生き方や幸せの話にもつながりました。
私の中では、これらは別々の話ではありません。一人の人が、毎日どう暮らしているかという話なのです。
腰が痛い。肩が痛い。肘が痛い。膝が痛い。私は、もちろん、その場所への施術も行います。
同時に、なぜ今、その方がその状態になっているのかを考えます。食事なのか、睡眠なのか。体の使い方なのか。運動不足や使い過ぎなのか。精神的な緊張や葛藤が重なっているのか。
一つの理由だけとは限りません。いくつかが重なって、その方の今の状態をつくっていることがあります。
中医学では、気や血、津液、臓腑などの関係から全体を捉え、施術方針を考えます。私は、症状への対応と、その背景にある状態を整えることの両方を大切にしてきました。
それを、私は根本を考える治療としてお話ししています。
点や線や面だけでなく、球体として見る。中医学弁証論治で、一人ひとりのつながりを考えます
私の感覚では、人の体を見る時、点や線や面だけでは足りません。球体として、全体を見るようなイメージです。
地球を見る時、一つの国だけを見て、地球全体が分かったとはいえませんね。いろいろな場所がつながって、一つの地球があります。
人の体も、一か所の訴えだけで終わらせず、その人全体との関係で考えたいのです。
生活をお聞きする。舌を見る。脈を診る。症状の経過や、医療機関での診断なども合わせる。そこから、今の状態を「証」として整理し、施術の方針を考えていきます。
これが、中医学弁証論治(べんしょうろんち)です。一人ひとりの状態を総合して捉え、その方に合わせて治療を考える方法です。
薬が必要な時には、薬の働きも大切です。医療機関での診断や治療を受けながら、鍼灸でできること、生活の中でできることを考える。その両方を、その人のために生かしていきたいのです。
最初にお話しした湿も、この全体を見る考え方の中にあります。重だるいから湿だと、一つの言葉で話を終えるために使うのではありません。では、なぜそのような状態を考えるのか。その背景へ、さらに目を向けるのです。
食べる量や食べ方に関わることはないか。疲れが重なっていないか。休めているか。心の緊張が続いていないか。川のどこか一か所だけでなく、その川を支えている暮らしを見ていきます。
こうして考えると、食事、呼吸、心のお話が、もう一度つながってきますね。私は、同じ方の体と心を、別の角度から何度も見直しているのです。その重なりを捉えることを、大事にしています。
治療の先にも、毎日の暮らしは続きます。自分で取り組めることを、患者さんと一緒に探したいのです
約四十年、治療に関わってきて、やはり生活は大切だなあと感じています。
施術をするだけでなく、「こういう暮らし方が、今の状態に関わっているかもしれませんね」と患者さんにお伝えする。食事、運動、睡眠、心の休ませ方を、一緒に考える。
私の臨床では、そうした提案をご本人が暮らしに取り入れる中で、施術だけを受けていた時より、よい方向へ進んだと感じる場面があります。
ご自分の生活と体調の関係に気づいていただけることも、私にはうれしいのです。
誰もが同じ速さで回復するわけではありません。生活を整えれば、すべての病気が治るということでもありません。
それでも、食べ方に工夫できることがある。休み方を変えられる。心を緩める時間をつくれる。その方が自分で取り組めることを、一つでも見つけたいのです。
体の中の川を思い浮かべたところから、ずいぶん遠くまで話が広がりました。でも、その川を支えるのは、遠いどこかの話ではありません。
今日、何を食べるか。どんなふうに動き、休むか。そして、自分にどんな気持ちで接するか。
私は、その毎日の暮らしの中で、患者さんと一緒に、健康を支える方法を考えていきたいと思っています。
例えば、今日の食事では、食べ終わった時の体の感じを、少し気にかけてみる。仕事の途中では、息を詰めていなかったか、一度気づいてみる。寝る前には、頭の中の荷物を、いったん置く時間をつくってみる。
どれも、特別に大きなことではありません。けれども、一日の中に、自分の体と心に目を向ける場面が増えていきます。私は、そうした気づきを、健康を支える工夫につなげていきたいのです。
知っていても、忙しい日には忘れますね。私たちは、それでよいのだと思います。思い出した時に、また始める。できなかった一日を責めるより、今日できる一つを選んでみるのです。
体の中の川を思い出す。働いた自分を養う。呼吸に気づき、心の荷物を下ろす。そして、すでに受け取っているものに、ありがとうと思う。私は、このことを、これからも言葉を変えながら、何度でもお話ししていきたいと思っています。
※効果や感じ方は人によって異なります















































