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update:2026年11月6日 最終更新日:2026年11月6日

頭の中の荷物を一旦下す。呼吸と冥想を通して、自分の心の声を聴き、自分らしく生きるために

※効果や感じ方は人によって異なります

はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一

何かを達成するために力を入れ続ける時間とは違う、握っていたものを話す時間を持ちたいと思います

頭の中は、過去や未来の心配でいっぱい。一日に一度、冥想で荷物を下ろしてみませんか

呼吸を整える。体を動かす。そして、もう一つ、私が大切にしているのが冥想です。

人間は、考える動物ですね。時間があれば、何かを考えています。

昨日の会話は、どういう意味だったのだろう。家族のことは大丈夫だろうか。仕事の相手はどう思っただろう。あの時、別の言い方をすればよかった。

頭の中には、過去も未来も、他人の目も、自分への注文も詰まっています。

その荷物を、一日に一度、いったん下ろしてみませんか。同じ考え、同じこだわりを抱えたまま、何日も過ごさずに、今日、少し離れてみるのです。

私は、頭の中を「空じる」と表現しています。冥想行法は、そのために大切にしている方法です。

何も考えない状態を力ずくでつくるという意味ではありません。今まで握りしめていたことを、少し緩める。そこから始めます。

荷物を下ろすというのは、家族や仕事を大切にしなくなることではありません。大切だからこそ、考え続けて疲れた自分にも、休む場所を用意するのです。

手に持った荷物なら、重くなれば置こうと思いますね。ところが、頭の中の荷物は、見えないまま持ち続けてしまいます。「今だけは、ここへ置いておこう」。私は、そんなつもりで冥想に向かってよいと思っています。

何かを忘れるために、自分と戦う必要はありません。いったん置く。また必要な時に考える。そういうゆとりを、自分に許してあげたいのです。

動いて、休んで、また動く。呼吸とともに、足先から顔まで少しずつ緩めていきます

私がヨガで指導する時には、体を無理なく動かすことと、休むことを繰り返します。

座っても、立っても行えますが、初めは横になったほうが、力を抜きやすい方もいます。

呼吸をしながら、ゆっくり体を伸ばす。そして休む。また伸ばして、休む。前屈などを行う時も、形を深くつくることより、息を止めず、無理をしないことを大切にします。

ヨガでいうシャバーサナでは、仰向けになって休みます。動いた後、ただ休む。その時に、どこが緩んだか、まだどこに力が入っているかを感じます。

つま先、ふくらはぎ、太もも、腰、背中、肩、首。そして顔。足先から頭のほうへ、少しずつ気持ちを向けていきます。

顔にも、案外、力が入っています。眉間や口元を、いつも固くしていないでしょうか。そういうところまで、丁寧に気づいていくのです。

動きと休みを繰り返すうちに、呼吸が穏やかになり、気持ちも落ち着いてくることがあります。自然に、じっとしていたい。静かに休んでいたい。私は、そんな状態へ近づくように進めています。

体を伸ばす時に、どこまで届くかばかり見ていませんか。人と同じ形ができるかより、今の自分がどんな感じで動いているかに、目を向けてみてください。

動いた後に休むと、さっきより楽なところや、まだ固いところに気づくかもしれません。はっきりした変化が分からない日にも、慌てなくてよいのです。自分の体を感じる時間を持ったこと自体を、大切にします。

動くことだけを練習するのではなく、休むことも練習する。力を出すことだけでなく、抜くことにも気づく。その両方を、私はヨガの時間の中で大事にしています。

声に出せば、吐く息が自分に聞こえる。数える声を、力みに気づく手がかりにします

指導の中で、声に出して数えてもらうこともあります。

例えば「いち」と、息に声を乗せてみる。音として聞こえるので、今、どんなふうに吐いているかが分かりやすいのです。

途中で力んでいないか。急いでいないか。自分にとって、無理のない長さはどのくらいか。

声が出ている間は、息を吐いています。息を止めているのではありません。私は、その音を、自分の呼吸に気づく手がかりにします。

だんだん力みが減って、楽に吐けるようになる。すると、体の力の抜き方もつかみやすくなることがあります。

長く出す競争ではありません。深くしよう、長くしようと頑張り過ぎれば、また緊張してしまいます。呼吸も声も、心地よくできる範囲で行います。

冥想中に考えが浮かんでも、失敗ではありません。気づいたら、そっと呼吸へ戻ればよいのです

全身の力が少しずつ抜けてきたところで、私は、頭の中も休ませるように言葉をかけます。

今までの習慣。過去の失敗。誰かとのトラブル。これからの心配。今ここで、全部を解決しようとしなくてよいのです。

考えが浮かんだら、「ああ、また考えていたな」と気づいて、呼吸や体の感覚へ戻ります。

「何も考えてはいけない」と命令する必要はありません。考えが出てくるたびに失敗だと思えば、冥想が、また一つの課題になってしまいます。

眠りに入りかける時のように、静かに休めることもあるでしょう。落ち着かない日があっても構いません。その日の自分の状態に気づくことも大切です。

私は、何かを達成するために力を入れ続ける時間とは違う、握っていたものを離す時間を持ちたいと思っています。

ここは、大切なので、もう一度お話しします。考えが浮かんでも、冥想に失敗したわけではありません。浮かんだことに気づいて、そっと戻る。その繰り返しでよいのです。

昨日も同じ心配をした。今日もまた考えてしまった。それでも、「また駄目だった」と、自分に厳しい言葉を重ねなくてよいのです。「今、心配していたんだな」と気づき、今の呼吸に戻ってみます。

私は、冥想を、自分を上手に管理するためだけの課題にしたくありません。いつも何かを求められている自分が、少し、その要求から離れられる時間にしたいのです。

「人はどう思うだろう」を、いったん脇へ。自分の本当の声を聴くことが、私のいう自己解放です

冥想を通して、私がとくに大切にしたいのは、自己解放です。

とらわれ、こだわり、引っかかり。「こうしなければならない」「世間が許さない」「人からどう見られるだろう」。そうしたものに、私たちは自分で自分を縛っていることがあります。

いったん、それらを脇へ置いてみる。今すぐ答えを出さなくてもよいから、自分の心に耳を澄ませてみるのです。

自分は、本当はどうしたいのだろう。

何をしている時に、喜びを感じるのだろう。

これからの時間を、どう生きたいのだろう。

私は、その時間を「魂との対話」と表現しています。

いつも頭の中に響いている声が、自分の願いとは限りません。「他人はこう思うはずだ」と考えて、その想像の声に合わせて生きていることもあるでしょう。

静かになって初めて、自分の内側の声が聞こえてくる。その声を大事にして、自分の人生を自分で歩く。私にとって、冥想は、そんな生き方につながるものです。

「自分はどうしたいのか」と聞かれても、すぐには言葉にならないかもしれません。長い間、周りの都合を優先してきた方なら、なおさらでしょう。答えを急がなくてよいのです。

今日は何をすると、少しうれしいだろう。どんな時間を過ごすと、ほっとするだろう。初めは、そういう身近な問いからでも構いません。

自分の声を聴くことは、人の声を全部退けることではありません。人を思う気持ちと一緒に、自分の気持ちも大事にする。そのために、とらわれから少し離れてみるのです。

欲望が尽きなくても、心の釣り合いは育てられる。怒りだけで心をいっぱいにしないために

人間の欲望は、限りがありませんね。

もっと認められたい。もっとよい暮らしがしたい。人より上に行きたい。望みがあれば、それに伴う葛藤も生まれます。

だから私は、普段の生活では「中道」という考え方も心に置いています。

私なりの実践としては、感情が一方へ大きく傾いた時に、反対側の気持ちにも目を向けてみることです。

腹が立ったら、許す心を考える。憎らしいと感じたら、相手を大事に思っていた気持ちも思い出す。相手の立場を想像し、自分の受け止め方も振り返る。

かわいさ余って憎さになる、といいますね。近いところにある気持ちだからこそ、一つの感情だけで心をいっぱいにしないようにしたいのです。

これは仏教の教義すべてを説明するものではなく、私が暮らしの中で大切にしている捉え方です。何でも許し、自分を犠牲にするということでもありません。必要な距離を取ること、自分を守ることも含めて考えます。

そうした心の使い方には、練習が要ります。体の動かし方と同じように、日々の小さな場面で、少しずつ身につけていくのだと思います。

怒りが生まれることと、怒りをずっと持ち続けることは、同じではありません。腹が立った自分を否定せずに、その後の時間をどう過ごそうかと考えてみるのです。

すぐには許せない日もあります。その日は、距離を取ったり、誰かに話したりすることが先かもしれません。もう少し落ち着いてから、別の見方ができることもあるでしょう。

真ん中へ戻る道は、一つではありません。自分を追い込まず、気づくたびに少し向きを変える。私は、中道を、日々の中でそうして練習していきたいと思っています。

地位や財産が増えれば、心も豊かになるのでしょうか。感謝する心、人を思う心も育てたいのです

私たちは、外から見える力を高めるために、よく努力します。

地位を高くしたい。財産を増やしたい。人から認められたい。よい生活をしたい。学んで、力をつけたい。

それらが喜びになることはありますし、暮らしを支える大切なものでもあります。ただ、それが増えれば、自動的に心まで豊かになるのでしょうか。

大きな権力を持つ人であっても、心の穏やかさや、人を思う気持ちは、また別のものだと私は思います。

内側の幸せを支える力には、感謝する心、人を認める心、許す心、誰かのために働く心があります。

どんな時でも必ず明るくいなさい、ということではありません。つらい時にも、自分を支え、人とのつながりを保つものを、心の中に育てておきたいのです。

外から見えるものを得る努力とともに、自分の内側を育てる時間も持つ。それが、年齢を重ねるほど大切になると感じています。

何かを手に入れた時のうれしさも、確かにあります。でも、次に欲しいものができると、そのうれしさだけでは落ち着かなくなることもありますね。

その一方で、人に親切にしてもらってありがたいと思ったり、誰かの喜ぶ顔を見て、自分もうれしくなったりすることがあります。私は、そういう心の動きにも、幸せの大切な部分があると感じます。

外側を整えることに加えて、何をうれしいと感じる心を育てるか。年を重ねた今、私は、その問いを、これからの自分の暮らしにも向けています。

人を動かすのは、肩書だけではない。自分の力を、周りの喜びにもつなげたいと思います

大谷翔平さんのように、人柄でも多くの人の心を引きつける方を見ると、私は、人を動かすものは肩書だけではないのだと感じます。

どれほど大きな立場に立つかと、その立場で何を考え、どう振る舞うかは、別の話ですね。

自分だけがよければよい。自分の組織だけ、自分の国だけが豊かになればよい。そういう方向へ気持ちが偏ると、周りとのつながりを損ねてしまうのではないでしょうか。

私は、みんながよくなる道を考えてほしいと思っています。指導する立場の人にも、私たち一人ひとりにも、同じように必要なことだと感じます。

自分の力を、人の喜びにもつなげる。誰かを押しのけて得る満足だけではなく、周りと喜びを分かち合える生き方を考えたいのです。

好きで取り組んだことが、誰かの喜びにもなる。私は、そんな「三方よし」の生き方が好きです

「三方よし」という言葉があります。

自分にとってよい。相手にとってもよい。そして、世の中にとってもよい。私は、この考え方が好きです。

自分のやっていることが、あなたのためになる。そして、みんなのためにもなる。そのことで、自分の心まで満たされる。そんな生き方です。

野球でよいプレーをすれば、見ている人が喜ぶ。よい歌を歌えば、誰かの心に届く。よい本を書けば、読む人の助けになる。

初めから大きな社会貢献を掲げなくてもよいのです。自分が好きで取り組んだことが、結果として、誰かの喜びになっている。そういう形もありますね。

自分のしたいことをしてよい。その中で、人を傷つけず、人や自然との関わりを大切にする。私は、自由に生きることと、周りを思うことは、両立できると考えています。

大きなことをしなければ、人の役に立てないのでしょうか。私は、そんなことはないと思っています。目の前の一人に丁寧に接することも、相手の話を聞くことも、その人にとって大切な時間になるかもしれません。

好きなことを楽しみながら、その楽しみを少し分け合う。自分が経験してきたことを、誰かに分かりやすく伝える。私が、こうして原稿を残したいと思っているのも、その一つです。

自分の喜びと、人の喜びを、いつも取り合いとして考えなくてもよいのです。両方が育つ場所を探してみる。私は、そういう生き方に、これからも楽しみを持ちたいと思っています。

生まれた時から受け取っていたものがある。それが私にとっての「足るを知る」につながっています

少し、大きな景色を思い浮かべてみてください。

空気がある。大地がある。水がある。海や川があり、緑豊かな森がある。

生まれた時から、私たちは、その中で生きています。

世界中の頭のよい人たちが集まっても、この自然を、一から同じようにつくれるでしょうか。私たちが、どれほど頑張っても簡単につくれないものに、日々、支えられているのです。

ヨガを学ぶ中で、私は「すでに与えられているもの」に目を向けることを教わりました。足りないものばかり数えている時には、見えなくなっているものがあります。

もちろん、暮らしに必要なお金や住まい、食べ物、支援など、現実に不足して困っているものを軽く見る話ではありません。

それでも、自分を支えているものが、何もないわけではない。空を見て、水を飲み、誰かと話す。その中に、すでに受け取っているものを感じられることがあります。

もっと欲しいという気持ちと共に「ありがたい」と感じる心を持つ。それが、私にとっての「足るを知る」につながっています。

朝、窓を開けたら、空気が入ってくる。水を飲める。外へ出れば、空が広がっている。あまりに当たり前なので、いつもは意識しないことですね。

だからこそ、私は、何度でも思い出したいのです。まだ持っていないものを考える前から、自分を生かしてくれているものがある。努力するより前に、受け取っていたものがある。

もっと欲しいという気持ちがあってもよい。その気持ちと一緒に、今あるものをありがたいと感じる心を置くのです。欲しいものがあるから、今の自分は何も持っていない、ということにはなりません。

生まれた時から受け取っていたものがある。私にとっての「足るを知る」は、そこへ気持ちを戻すことでもあります。空や水や緑を眺めるひとときに、そのことを思い出せたらよいなと思っています。

できなくなったことだけを数えずに。今の自分を受け入れ、その自分に合う楽しみを育てます

年齢を重ねれば、体は変わっていきます。

筋肉が弱くなる。以前ほど速く動けない。若い時と同じようにできないことが出てくる。私自身も、その変化の中にいます。

そこで、できなくなったことだけを数えていたら、毎日が寂しくなってしまいますね。

一方で、経験を重ねたからこそ、人の気持ちが分かることもあります。受け入れる力、感謝する気持ち、喜びを見つける心は、これからも育てていきたいと思っています。

今の自分を、自然な変化の中にいる一人として受け止める。そして、その自分ができる楽しみを見つける。

散歩が楽しい。食事がおいしい。音楽がうれしい。家族や友人と話せた。そうした喜びを、自分の生活の中に置いていくのです。

生きることを喜びながら生きる。老後の幸せを考える時、私は、その心のあり方を大切にしたいと思います。

若い頃の自分と比べれば、できなくなったことも見えてきます。でも、今日の自分が喜べるものまで、なくなったわけではありません。

遠くまで行けなければ、近くの景色を楽しむ。長くできなければ、短い時間を味わう。今の自分に合わせて楽しみ方を変えることも、自分らしく生きる工夫だと思うのです。

先ほどの「足るを知る」も、ここにつながります。失ったものだけで自分を測らず、今、受け取れる喜びにも気づく。そうして、これからの日々を、自分にとってうれしい時間にしていきたいのです。

痛む場所を診ながら、なぜ今この状態なのかを考える。私は、その人の暮らし全体を見ています

食べ物の話から始まり、水分、気、感情、呼吸、運動、冥想へと話してきました。そして、生き方や幸せの話にもつながりました。

私の中では、これらは別々の話ではありません。一人の人が、毎日どう暮らしているかという話なのです。

腰が痛い。肩が痛い。肘が痛い。膝が痛い。私は、もちろん、その場所への施術も行います。

同時に、なぜ今、その方がその状態になっているのかを考えます。食事なのか、睡眠なのか。体の使い方なのか。運動不足や使い過ぎなのか。精神的な緊張や葛藤が重なっているのか。

一つの理由だけとは限りません。いくつかが重なって、その方の今の状態をつくっていることがあります。

中医学では、気や血、津液、臓腑などの関係から全体を捉え、施術方針を考えます。私は、症状への対応と、その背景にある状態を整えることの両方を大切にしてきました。

それを、私は根本を考える治療としてお話ししています。

点や線や面だけでなく、球体として見る。中医学弁証論治で、一人ひとりのつながりを考えます

私の感覚では、人の体を見る時、点や線や面だけでは足りません。球体として、全体を見るようなイメージです。

地球を見る時、一つの国だけを見て、地球全体が分かったとはいえませんね。いろいろな場所がつながって、一つの地球があります。

人の体も、一か所の訴えだけで終わらせず、その人全体との関係で考えたいのです。

生活をお聞きする。舌を見る。脈を診る。症状の経過や、医療機関での診断なども合わせる。そこから、今の状態を「証」として整理し、施術の方針を考えていきます。

これが、中医学弁証論治(べんしょうろんち)です。一人ひとりの状態を総合して捉え、その方に合わせて治療を考える方法です。

薬が必要な時には、薬の働きも大切です。医療機関での診断や治療を受けながら、鍼灸でできること、生活の中でできることを考える。その両方を、その人のために生かしていきたいのです。

最初にお話しした湿も、この全体を見る考え方の中にあります。重だるいから湿だと、一つの言葉で話を終えるために使うのではありません。では、なぜそのような状態を考えるのか。その背景へ、さらに目を向けるのです。

食べる量や食べ方に関わることはないか。疲れが重なっていないか。休めているか。心の緊張が続いていないか。川のどこか一か所だけでなく、その川を支えている暮らしを見ていきます。

こうして考えると、食事、呼吸、心のお話が、もう一度つながってきますね。私は、同じ方の体と心を、別の角度から何度も見直しているのです。その重なりを捉えることを、大事にしています。

治療の先にも、毎日の暮らしは続きます。自分で取り組めることを、患者さんと一緒に探したいのです

約四十年、治療に関わってきて、やはり生活は大切だなあと感じています。

施術をするだけでなく、「こういう暮らし方が、今の状態に関わっているかもしれませんね」と患者さんにお伝えする。食事、運動、睡眠、心の休ませ方を、一緒に考える。

私の臨床では、そうした提案をご本人が暮らしに取り入れる中で、施術だけを受けていた時より、よい方向へ進んだと感じる場面があります。

ご自分の生活と体調の関係に気づいていただけることも、私にはうれしいのです。

誰もが同じ速さで回復するわけではありません。生活を整えれば、すべての病気が治るということでもありません。

それでも、食べ方に工夫できることがある。休み方を変えられる。心を緩める時間をつくれる。その方が自分で取り組めることを、一つでも見つけたいのです。

体の中の川を思い浮かべたところから、ずいぶん遠くまで話が広がりました。でも、その川を支えるのは、遠いどこかの話ではありません。

今日、何を食べるか。どんなふうに動き、休むか。そして、自分にどんな気持ちで接するか。

私は、その毎日の暮らしの中で、患者さんと一緒に、健康を支える方法を考えていきたいと思っています。

例えば、今日の食事では、食べ終わった時の体の感じを、少し気にかけてみる。仕事の途中では、息を詰めていなかったか、一度気づいてみる。寝る前には、頭の中の荷物を、いったん置く時間をつくってみる。

どれも、特別に大きなことではありません。けれども、一日の中に、自分の体と心に目を向ける場面が増えていきます。私は、そうした気づきを、健康を支える工夫につなげていきたいのです。

知っていても、忙しい日には忘れますね。私たちは、それでよいのだと思います。思い出した時に、また始める。できなかった一日を責めるより、今日できる一つを選んでみるのです。

体の中の川を思い出す。働いた自分を養う。呼吸に気づき、心の荷物を下ろす。そして、すでに受け取っているものに、ありがとうと思う。私は、このことを、これからも言葉を変えながら、何度でもお話ししていきたいと思っています。

※効果や感じ方は人によって異なります

update:2026年11月6日 最終更新日:2026年11月6日

身体を作るものと体を動かすもの。中医学の「気」と「陰陽」から、心と身体のつながりを考える

※効果や感じ方は人によって異なります

はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一

体をつくるものと、体を動かす働き。その両方から、人体の陰陽を考えます

体の中の水分を巡らせる「気」とは、どのようなものなのでしょうか。その話を分かりやすくするために、ここで人体の陰と陽についてお話しします。

陰陽と聞くと、何か難しい話が始まりそうですね。でも、私はまず「物質と機能」という関係から説明しています。

私たちの体には五臓六腑があり、筋肉があり、骨があり、手足があります。それぞれがつながって、一つの生命体をつくっています。どれも必要なものです。

しかし、組織が存在するだけでは生きられません。胃腸は食べ物を受け止め、心臓は拍動し、肺は呼吸をする。組織があって、それが働く。その両方がそろって、私たちは生きています。

中医学では、体を形づくり、養い、潤す側を陰、温めたり動かしたりする働きの側を陽として捉える見方があります。血や津液は体を支える物質として考え、気には、その働きや巡りを支える役割を考えます。

これは、人体を理解するための中医学の枠組みです。気という名前の粒子が、体の中を走っていると確認されているわけではありません。私は、生命の働きをイメージするための言葉としてお話ししています。

難しい言葉を、最初から全部覚えなくても大丈夫です。まずは、体には、形をつくっているものと、それを働かせる力がある。その二つが支え合っているのだと、思い浮かべてみてください。

たとえば、今日一日、よく働いたとしますね。明日も元気に働きたい。その時に、さらに頑張ることだけを考えるのか、それとも、今夜はどう休もうかと考えるのか。ここに、自分を養うという視点が入ってきます。

食事も睡眠も、ただ一日の予定を埋めるものではありません。自分の体を支え直す、大事な時間なのです。中医学の陰陽の話も、そうして暮らしに重ねると、少し身近になってきませんか。

走ればガソリンが減るように、働く体にも支えが要ります。使ったら、養い直す時間を

例えば、オートバイに乗るとしましょう。

走れば走るほど、ガソリンは減りますね。速く走る、長い距離を走る。その働きを支えるために、燃料が使われます。

人体をそのまま機械に置き換えることはできませんが、活動には、それを支えるものが必要だという関係は分かりやすいでしょう。

働く。考える。体を動かす。私たちは、毎日の活動の中で力を使っています。使う一方で、食べて、眠って、休んで、自分を養うことも必要になります。

会社や国家も、組織があって、その中にいろいろな働きがありますね。生産するところ、運ぶところ、連絡を取り合うところ。それぞれが役割を果たし、全体が成り立っています。

体も同じように、一つだけを切り離して考えにくいのです。働きだけ強く求めて、支える側を置き去りにしていないか。私は、その釣り合いを考えます。

元気に動けることは、ありがたいことです。しかし、動けるからといって、いつまでも使い続けてよいとは限りません。自分を養い直す時間まで含めて、健康を考えたいのです。

ここで、食事の話を、もう一度思い出してください。使ったからといって、何でもたくさん取り入れればよい、というわけではありませんでしたね。自分に合う量を食べ、休む時には休む。働くことと養うことの、両方を見るのです。

体を大切にすると聞くと、何かをもっと足さなければ、と思うかもしれません。でも、時には予定を一つ減らすことや、食べ過ぎる習慣を見直すことも、自分を大切にする工夫になります。

何を増やしたらよいかだけでなく、何を少し減らせば楽になるだろう。その問いも、自分に向けてあげてほしいのです。

気が渋滞しているのか、力が足りないのか。同じ「進まない」でも、考えることは違います

中医学では、気に、体の働きや血・津液の巡りを押し進める作用を考えます。これを「推動作用(すいどうさよう)」といいます。

「推す」は押すことですね。物事を前に進め、動かしていく働き、と受け取っていただければよいでしょう。

その気の巡りが滞った状態を「気滞(きたい)」と呼びます。中医学では、イライラする、怒りっぽくなる、気分がふさぐといった訴えと関連づけて考えることがあります。

一方、気が不足していると捉える状態が「気虚(ききょ)」です。こちらは、動かすための力が足りないという見方です。

道に車がいっぱいで渋滞しているのか。それとも、車を進める力そのものが弱くなっているのか。外から見れば「進まない」という同じ状態でも、考えるべきことは違いますね。

私は、ストレスの多い方を診る時も、緊張して滞っているのか、長い間の心労や過労で消耗しているのかを考えます。両方が重なることもあります。

ただ緩めればよいのか。それとも、休ませ、養うことも必要なのか。一人ひとりを見なければ、そこは分かりません。

「疲れている」と一言でいっても、気持ちが張りつめて休めない時と、力を使い果たしてしまったような時では、感じ方が違いますね。中医学の気滞と気虚も、同じ言葉にまとめず、状態を分けて考えるための見方です。

だから私は、元気が出ない方に、ただ「もっと動きましょう」とだけお伝えするのではなく、今は何が必要なのかを考えたいのです。少し動くことが気分転換になる時もあれば、まず休むことを大切にしたい時もあります。

大事なのは、人と比べて足りないところを探すことではありません。今の自分が、何を求めているかに気づくことです。そのために、私はお話を丁寧に伺います。

川に入る食べ物と、流れを支える気の働き。私は、食事とストレスを一緒に考えます

先ほどは、食事と湿の関係をお話ししました。今度は、その川を巡らせる働きにも目を向けます。

中医学では、気の流れが滞っても、巡らせる力が不足しても、血や津液の動きに影響すると考えます。水分が停滞し、その状態が長く続く時には、湿や痰湿という見方にもつながります。

川に、家庭から栄養分の多い排水がたくさん流れ込む。底にものがたまり、流れが妨げられていく。食べ過ぎの話では、そんな景色を使いました。

ここでは、川へ入ってくるものだけでなく、水を送り、流れを保つ働きにも目を向けているのです。

だから私は、食事とストレスを別々の話として終わらせません。「食べ方を直してください」だけでも、「気持ちを楽にしてください」だけでも、その方の状態を十分に捉えられないことがあります。

食事はどうか。疲れはどうか。どんな気持ちで過ごしているのか。それらが、その人の中でどう重なっているかを考えます。

川のたとえでいう「汚れる」「粘る」は、中医学の状態像を伝える表現です。感情によって体液が泥に変わるという意味ではありません。そのうえで、私は、心の状態も体を考える大切な手がかりにしています。

最初の川の景色に、もう一度戻ってみましょう。水を巡らせたいと思ったら、川に何が入ってくるかだけでなく、流れを妨げているものはないかにも目を向けますね。私は、この二つの目を持ちたいのです。

食べ方を見直すことは、川へ入ってくるものを考えること。心身の疲れや緊張を見直すことは、その巡りを支える働きにも目を向けること。中医学では、そうした関係の中で湿を考えます。

ですから、食事の話をしていたのに、どうして心の話になるのだろうと、不思議に思わなくてよいのです。どちらも、その方の毎日の暮らしにつながっています。食べる自分も、悩む自分も、休む自分も、一人の自分なのですから。

舌の苔と指先に触れる脈。その小さな情報を、暮らしや症状の話と重ねていきます

では、その内側の状態を、何から考えるのでしょうか。私は、舌と脈も大切にしています。

舌の上についている白っぽいものを、舌苔(ぜったい)といいます。それが厚くなり、ねっとりとして見えることがあります。中医学では、そうした特徴も、湿や痰湿を考える材料にします。

脈にも、いろいろな感触があります。

指を押し上げる力が弱く、ちょろちょろと流れる水のように感じることがあります。お風呂の縁から、水が少しずつこぼれているような感じです。力強い流れとは違います。

一方で、コロコロと、滑らかに動いてくるような脈を感じることもあります。これは「滑脈(かつみゃく)」を説明する時の感覚です。

浅瀬の石の上を、水が乗り越えながら流れていく。水が回転するように、滑るように流れる。その様子を思い浮かべてもらうと、少し伝わるでしょうか。

私は、こうした指先の感覚を、患者さんのお話や舌の状態と重ねます。一つの脈だけで、体の中のすべてが分かるということではありません。暮らしの話、症状の経過、医療機関での検査なども含めて考えます。

見えない体の内側を、外に表れた情報から少しずつ捉えていく。そのために、問診も舌診も脈診も必要なのです。

例えば、体が重いという訴えがあって、舌の苔にも特徴があり、食べ方のお話にも気になるところがある。私は、それらを一つずつ、重ねて考えます。あらかじめ答えを決めておいて、そこに患者さんを当てはめるのではありません。

湿という言葉を知ったからといって、ご自分で舌を見て「私は湿だから大丈夫」と決めなくてよいのです。分からないことは、分からないまま相談していただいて構いません。

今のつらさが、どんな時に強くなるか。何をすると少し楽か。そういうご本人にしか分からないお話も、私には大切な情報です。舌や脈とともに、その人の言葉を聞くことを大事にしています。

口論は終わったのに、頭の中では続いている。その思いから離れる時間をつくりませんか

ここからは、もう少し心の話をしましょう。

「腹が立つなあ」

「あんなことを言われて、悔しいなあ」

「一人で寂しいなあ」

怒り、悲しみ、不安、孤独。怖い思いをしたり、驚いて緊張したりすることもあります。どれも、人間には自然に生まれる感情です。

ただ、その思いをずっと胸の中に持ち続けていると、どうでしょう。

相手はもう目の前にいない。口論も終わった。それなのに、自分の頭の中では、同じ会話が何度も繰り返されている。思い出すたびに、また腹が立つ。肩に力が入り、息まで詰まってくる。

私は、そういう「ひとところにとどまってしまうこと」を気にかけています。中医学でも、感情が長く強く続くことを、気や血などの働きに関わるものとして考えます。

出来事そのものと、その後も自分の中で繰り返している思い。この二つを、一度、分けて眺めてみるのもよいかもしれません。

気分転換が必要です。場所を変える。誰かと話す。体を動かす。今の考えから、少し離れてみる。

つらいことを、無理に忘れようとする必要はありません。ただ、その思いだけで一日が埋まってしまわないように、違う時間をつくってあげたいのです。

「考えないようにしよう」と思うほど、また考えてしまうこともありますね。だから、思いを消すことを、もう一つの頑張りにしなくてよいのです。

ひとまず立ち上がってみる。窓の外へ目を向けてみる。誰かと別の話をしてみる。問題の答えを出す前に、その問題から少し離れた時間を、自分に渡してあげるのです。

一度離れても、また思い出すかもしれません。それでも構いません。また気づいた時に、少し離れてみる。心の扱い方も、その繰り返しの中で学んでいけると、私は思っています。

何を食べるかと、どんな気持ちで過ごすか。体を養うものと働かせるものを、両方見ます

「血液がドロドロになる」という言葉を聞いたことがあるでしょう。

私は、それを説明の入口にすることはありますが、気分だけで血液の粘度が決まるとは考えていません。「流れが悪い」という中医学の話と、実際の血液検査で調べることも、同じではありません。

中医学では、気が血の巡りを支えると考えます。気の働きが滞ったり弱くなったりすれば、血の巡りにも目を向けるのです。

同時に、何を食べて体を養っているかも大切です。よいものを食べているから、それだけで十分なのか。毎日、強く緊張し、眠れず、休めていないとしたら、そちらにも目を向ける必要があります。

体を養うものと、働かせるもの。その両方を考えるという、最初の陰陽の話につながってきましたね。

私は、食べ物の内容をお聞きしながら、その食事をどんな気分で取っているのか、その前後をどう過ごしているのかも知りたいと思っています。

食事をしている時にも、頭の中ではずっと仕事の続きを考えている。食べ終わっても、何を食べたか、味わいもよく覚えていない。そんな日が続いていないでしょうか。

その時は、献立を変えるだけでなく、食べる時間の過ごし方も、一緒に眺めてみたいのです。食べることを楽しめているか。自分の空腹や満腹に、気づけているか。少し落ち着いて食卓に向かう時間があるか。

体を養うということは、特別な知識を使う時だけの話ではありません。毎日の食卓にも、眠る前のひとときにもあります。私は、そういう身近なところから、その方に合う工夫を探したいと思っています。

「こういう性格だから」と諦める前に。自分を縛る思い込みがないか、考えてみませんか

その日のストレスなら、休んだり、話したりして楽になることもあります。しかし、どうしても同じところでつまずいてしまう方もいます。

そうしたくないのに、気がつけば同じことをしている。大事な時ほど、思うように振る舞えない。自分の本当の気持ちに反したことをして、後から自分に腹が立つ。

「私は、こういう性格だから」

そう思って諦めているかもしれません。でも、その反応のすべてを、生まれつきの性格と決めなくてもよいのです。

心理学の話で使われる「ビリーフ」は、自分や物事についての信念や思い込みを表します。その中でも、行動や選択を狭める思い込みを「リミッティング・ビリーフ」と呼ぶことがあります。

幼い頃に身につけた受け止め方を、長い間、持ち続けていることがあります。本人にとっては当たり前なので、意識していません。意識しないまま、今の選択に関わっているのです。

自分の望みと、身につけてきた思い込みとの間で、いつも葛藤している。そんな見方が必要になることもあります。

性格や苦しさを、生まれつきと後天的なものの割合だけで説明することはできません。それでも、「一生変わらない」と決める前に、専門家と一緒に考え直せる部分がある。その可能性を、私は大切にしています。

長い間、自分を支えてきた考え方が、今は窮屈に感じられることもあるでしょう。昔は必要だった受け止め方を、今も同じように持ち続けているのかもしれません。

もしそうなら、「こんな自分は駄目だ」と責める前に、「なぜ、この考え方を大事にしてきたのだろう」と、少し優しく問いかけてみることもできます。すぐに答えが出なくてもよいのです。

自分を知ることは、自分を裁くことではありません。困っている自分に、どんな助けがあればよいかを探すことです。難しい時には、一人で解こうとせず、専門家と一緒に考えていけばよいと思います。

五年、十年と続く頭痛。必要な診察を大切にしながら、心の緊張にも耳を傾けます

五年、十年と長く頭痛に悩んでいる方のお話を伺う時にも、私は、体の状態だけでなく、心の負担に耳を傾けます。

ストレスが少ない時には楽だという方もいれば、いつも緊張が抜けず、頭痛から離れられないと感じている方もいます。

私の臨床経験では、思い込みや心の葛藤を一緒に考えることが、その方の助けになったと感じる場面がありました。

頭痛の原因が、すべて思い込みだということではありません。必要な診察を受け、頭痛そのものの評価や治療も大切にします。そのうえで、毎日どんな緊張を抱えているのか、自分を追い詰める考えが続いていないかにも目を向けるのです。

体に触れ、生活を聞き、心の話にも耳を傾ける。そうして初めて、見えてくることがあります。

「新婚旅行に行きたいのに、飛行機に乗れない」。その悩みの先に、叶えたい暮らしがありました

忘れられない方がいます。

首や肩、腰の治療に来られ、体の痛みはよくなってきた。ところが、まだ大きな困り事があるというのです。

「結婚を控えているんです。でも、飛行機に乗れないんです」

電車に乗ることにも不安がある。新婚旅行に行きたいのに、その飛行機に乗れない。楽しみなはずの予定が、切実な悩みになっていました。

その方にも、強い思い込みや心の負担がありました。私は、体の治療だけで話を終えず、そうした面も一緒に考えました。

その後、飛行機に乗れた。無事に新婚旅行へ行けた。そのお話を聞いた時は、本当にうれしかったですね。

何か一つの働きかけだけで変化したと断定することはできません。でも、その方にとっては「乗り物に乗れた」というだけではないのです。行きたかった場所へ行けた。大切な人との時間を過ごせた。その喜びがあります。

私は、症状の向こうにある、その人の生活を大事にしたいと思っています。

このお話で私が残しておきたいのは、症状の名前だけでは、その方の困り方までは分からないということです。同じ不安でも、その先にある願いは、一人ひとり違います。

買い物へ行きたい。友人に会いたい。家族と旅行がしたい。そうした日常の願いを伺うことで、何をお手伝いしたいのかが、より具体的になります。

「どこがつらいですか」とともに、「それが楽になったら、何をしたいですか」と考える。私は、健康を、その人が大切にしている暮らしとつなげて見ていきたいのです。

体のことを相談するように、心のことも相談してよいのです。一人で抱え込まないでください

開業して三年ほどたった頃から、体を診るだけでは十分に応じられない場面に、何度も出会いました。心のことを、もっと学ばなければいけない。そう感じて心理学を学び、臨床に生かすようになって、およそ三十五年になります。

以前、神経症と呼ばれていたような不安の問題や、心と体の両方に関わる訴えについても、心の側から考える視点を得ました。

ご本人が「やっと楽になった」「解放されたようだ」と話してくださることがあります。私にとっても、うれしい瞬間です。

ただ、誰もが自分一人で気づき、思い込みを外せるわけではありません。私自身の対応できる範囲も含めて考え、必要な専門家につなぐことが大切です。

心療内科や精神科には、行きにくさを感じる方もいるでしょう。でも、誰でも心の不調を経験する可能性があります。体の不調を相談するように、心のことも相談してよいのです。

医師や、適切な資格と経験のある心理職など、力になれる人はいます。一人で抱え込まず、自分に合う助けを探していただきたいと思います。

まず、吐く息に気づいてみる。長さを競わず、心地よい呼吸から始めましょう

では、日常生活の中で、気の滞りや張りつめた気持ちに対して、何ができるのでしょうか。

私が大切にしているものの一つが、呼吸です。

ゆったりと、気持ちよく息を吐く。吐き終わって力を抜くと、自然に息が入ってくる。そしてまた、穏やかに吐いていく。

私は、こういう呼吸の感覚を大切にしています。

吐こうとしても、すぐに苦しくなって吸わなければならない。息を吐くことにも、どこか力が入っている。そんな時は、自分の体が今、どれほど緊張しているかを感じるきっかけになります。

ただし、長く吐けるほど偉いということではありません。無理に息を絞り出したり、決まった長さに合わせて苦しさを我慢したりする必要はありません。

まず、楽な姿勢で、自分の呼吸に気づく。今の自分が、心地よくできる範囲から始めてほしいのです。

今、この文章を読んでいる間の呼吸は、どうでしょう。息を変えようとする前に、そのまま感じてみてください。肩やおなかは、どんなふうに動いているでしょうか。

「ああ、少し力が入っていたな」と気づいたら、それで十分です。すぐに上手な呼吸に直そうとしなくても構いません。楽に座り直して、今の自分が無理なく吐ける息を、ゆっくり感じてみます。

健康のための時間が、また自分を追い立てる時間になっては、もったいないですね。私は、呼吸を、自分に戻り、自分を休ませるための入口にしていただきたいと思っています。

泣く時と、笑う時では、呼吸も違う。私は、そこに心と体のつながりを感じます

泣いている時の呼吸を思い出してください。

息が途切れ、しゃくり上げて、なかなか滑らかに吐けないことがあります。悲しさや悔しさで、体にも力が入っています。

では、おなかを抱えて笑っている時は、どうでしょう。

「ははは」と息を吐いて、体まで揺れている。笑い終わると、ふっと力が抜けるような感じがありますね。

私は、呼吸と感情のつながりを説明する時、この二つを比べていただきます。

気持ちが呼吸に表れる。それなら、呼吸に気づき、体の力を緩めることも、気持ちを整える入口になるのではないか。そう考えているのです。

普段の呼吸で、笑う時のような強さを出し続ける必要はありません。穏やかに、無理なく息を吐けることを大切にします。

お風呂から上がった時の、あのゆったりした気分。肩の力が抜けて、ほっとする感じ。私は、その感覚を暮らしの中にも取り戻したいと思っています。

気持ちを変えることは難しくても、今、体に力が入っていることなら、気づける時があります。肩を少し緩める。顔の力を抜く。息を急がずに吐いてみる。心のことに、体の側から近づいてみるのです。

逆に、楽しい話をして笑った時には、呼吸を細かく考えなくても、体が自然に動いていることがありますね。私は、そういう何気ない体験にも、心と体を知る手がかりがあると思っています。

心だけ、体だけと分けずに、一人の自分を見てあげる。そのことを、呼吸の話でも繰り返しお伝えしたいのです。

画面を見ながら、息を詰めていませんか。慣れた呼吸の癖は、自分では気づきにくいものです

普段、息の吸い方や吐き方を、気にしているでしょうか。

吸う時に肩を持ち上げていないか。画面を見ながら、知らないうちに息を詰めていないか。慌ただしい呼吸を、そのまま当たり前にしていないか。

私は、呼吸にも、繰り返しの中で身についた傾向があると感じています。ご本人は慣れているので、それが浅いのか、力が入っているのか、気づかないことがあります。

「たかが呼吸で、そんなに違いますか」

そう思われるかもしれません。でも、一日の間、ずっと続けているものです。その呼吸を、自分が心地よいと感じられるものとして見直してみる意味はあると思うのです。

呼吸の速さが変わったり、リズムが落ち着かなかったりする時には、体調や緊張なども合わせて考えます。呼吸だけで性格や感情を決めることはしません。

「変えなければ」と力む前に、「今、こんな呼吸をしていたんだな」と気づく。その小さなところから始めます。

手首を持たれるだけでも緊張する方がいる。脈の変化から、普段の休み方まで考えます

脈を診ていると、精神的な緊張が体にどう表れるかを考えさせられます。

最初の十秒、二十秒ほどは触れていた脈が、しばらくすると、沈むように感じられる。弱くなったように感じ、また出てくる。そういう変化に出会うことがあります。

「手首を持たれているだけでも、緊張しておられるのかな」

私は、その時の表情や呼吸、ご本人の感じ方を確かめながら考えます。指の圧や腕の位置なども関わるので、脈の変化だけで精神状態を言い当てられるわけではありません。

それでも、普段から緊張が続きやすい方なのか、落ち着ける時間が少ないのかを知る入口になります。

そうであれば、施術中だけ緩んでもらって終わりにはできません。眠り、食事、運動、休み方。日常のどこに、楽になれる時間をつくれるだろうか。その提案まで考えたいのです。

考えが同じところを回る時は、景色の中を歩いてみる。体を動かし、違う時間をつくります

気分転換の方法として、体を動かすことも大切にしています。

どうしてもイライラする。考えがまとまらない。同じことばかり思い出してしまう。そんな時に、歩いてみるのです。

景色を眺めながら歩く。鼻歌を歌う。楽しいことを思い浮かべる。時には、ただ足を動かすことに気持ちを向ける。

五分、十分、十五分。先ほどとは少し違う気分になった、と感じることがあります。家の中で考え続けていた時とは、目に入るものも、体の使い方も、呼吸も変わりますね。

私は、その変化を大事にしています。速く歩く日も、ゆっくり歩く日もあってよい。長さを目標にして無理を重ねるより、自分の体調に合う歩き方を選びます。

外を歩けない時でも、家の中で立ち上がる、少し歩く、姿勢を変えることはできます。

立つ。座る。歩く。必要なら横になって休む。同じ姿勢をずっと続ける中に、小さな変化を入れるのです。

同じ机の前で考え続けている時と、空や木を見ながら歩いている時では、目に入ってくるものが違います。頭の中の話だけだったところに、目の前の景色が入ってくるのです。

だから、歩いている間も、答えを出さなければと頑張らなくてよいのです。今日は風があるな。あの木の色が変わってきたな。そんな小さなことに気づくだけの時間があってもよいでしょう。

体を動かすことは、運動量を増やすためだけのものではありません。自分の過ごし方に変化をつくることでもあります。食事や休養と同じように、その日の自分に合うやり方を選んでいただきたいのです。

交感神経も、副交感神経も大切です。活動する時と休む時、その場に合う切り替えを

呼吸や緊張をお話しする時、自律神経の話も出てきます。

交感神経は、活動や緊張が必要な場面を支えます。集中しなければならない時や、行動する時に必要な働きです。一方、休息や消化などに関わる副交感神経の働きも大切です。

どちらかをなくせばよいという話ではありません。仕事に向かう時には働き、休む時には休める。その場に応じた調整を大切にしたいのです。

吸う息と吐く息は、自律神経の働きとも関係します。ただ、「吸えば交感神経、吐けば副交感神経」と、スイッチのように完全に切り替わるわけではありません。運動中の体の働きも、それほど単純ではありません。

私がお伝えしたいのは、ずっと緊張したまま、同じ姿勢で、同じ考えにとらわれていないかということです。

体を動かした後、気持ちよく休む。仕事の合間に、呼吸を楽にする。そういう切り替えを、生活の中につくっていきたいのです。

仕事が終わったのに、心の中ではまだ仕事を続けている。横になっても、次にすることばかり考えている。体を止めたつもりでも、気持ちは休めていないことがありますね。

その時に、休めない自分を責めるのではなく、どんなふうにすれば一区切りつけられるかを考えたいのです。立ち上がって場所を変える。呼吸に気づく。好きなことをする時間を、少しつくる。

活動できることと、休めること。私は、両方が大切だとお伝えしています。頑張る力だけでなく、自分を休ませる工夫も、暮らしの中で育てていきたいのです。

息を長く止められれば健康、とは限りません。日常では、無理なく息が出入りすることを

重い物を持つ瞬間や、何かに強く集中した時、自然に息が止まることがあります。水の中を泳ぐ時にも、息を止める場面がありますね。

ヨガでは、息を保つことを「クンバカ」と呼ぶことがあります。私は、ヨガを学ぶ中で、吐く、吸う、保つという呼吸の働きにも関心を持ってきました。

ただし、息を長く止められるかどうかだけで、健康や体力を判断することはできません。日常の健康法として、苦しくなるまで息を止める練習を勧めたいのでもありません。

まず大切にしたいのは、力まず、自然に息が出入りすることです。呼吸の苦しさやめまいを我慢しない。体の声を聞きながら行うことが、その前提です。

※効果や感じ方は人によって異なります

update:2026年11月5日 最終更新日:2026年11月5日

身体の中の水は流れていますか?寝ても疲れが取れない重だるさを、食事と水分の巡りから考える

※効果や感じ方は人によって異なります

はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一

眠ったはずなのに体が重い。私は、検査とともに毎日の暮らしもお聞きします

「しっかり寝たはずなのに、どうも体が重い」

「何となくだるくて、すぐに疲れてしまう」

そんな時、私たちは考えます。どこか悪いのだろうか。何か病気が隠れているのだろうか。検査を受けても、はっきりした原因が見つからず、戸惑うこともあるでしょう。

私は、そのような時にも、毎日の暮らしについてお聞きします。何を食べ、どのくらい食べているのか。眠りはどうか。体を動かしているか。気持ちの張りつめた毎日になっていないか。

その中で、今日は食生活と、中医学で考える体内の水分のお話をしたいと思います。

少し、きれいな川を思い浮かべてみてください。

体を潤す水を、必要なところへ。私は、その巡りを澄んだ川に重ねます

田舎を流れる、澄んだ川です。

水は透明で、底の石まで見える。魚が泳ぎ、流れを大きく妨げるものもない。新しい水が入り、下流へと流れていく。

眺めているだけで、気持ちがよいですね。

私は、体の中の水分について説明する時、この川にたとえることがあります。

私たちの体の大きな部分を占めているのは水分です。成人では体重のおよそ六割といわれますが、その割合は年齢や体格などによって違います。水は体を潤し、生命活動を支える大切な成分です。

中医学でも、体を支える「気・血・津液(き・けつ・しんえき)」を大切に考えます。津液とは、体を潤す正常な水分を表す言葉です。

必要な潤いが、必要なところへ行き渡る。その働きを、私は川の流れに重ねて考えるのです。

流れる川がため池になるように、中医学では水分の停滞を「湿」と考えます

ところが、川へ流れ込むものが増え、流れが妨げられると、様子が変わってきます。

底にものがたまり、水が濁り、以前は見えていた石が見えなくなる。すっと流れていた水が、よどんでいく。ため池のような状態を思い浮かべると、分かりやすいかもしれません。

中医学では、体の水分の巡りに関わる不調を考える時、「湿(しつ)」という言葉を使います。

私は患者さんに、「体の中の川が、少し停滞しているように考えてみてください」と説明することがあります。

もちろん、体内に泥がたまったり、体液そのものが腐ったりしているという意味ではありません。「水分が汚れる」「濁る」という表現は、中医学でいう不調を身近に感じてもらうためのたとえです。

では、その巡りを考える時、毎日の何に目を向けるのでしょうか。

私がまずお聞きするものの一つが、食事です。

よい食べ物も、多ければよいとは限りません。大切なのは、自分に合う量です

おいしいものを食べるのは、楽しみですね。栄養を取ることも大切です。

ただ、どれほどよい食べ物でも、たくさん食べれば、それだけ体によいとは限りません。

大切なのは、その人が無理なく受け止められる量かどうかです。

私は、食べ過ぎが続いていないか、甘いものや濃い味のおかず、脂っこいものに偏っていないかをお聞きします。醤油と砂糖をたっぷり使った味付けは、おいしくて、ご飯も進みます。揚げ物にも、食べたという満足感があります。

最近では、おかずだけでなく、お菓子やスナック類にも、油を使ったものが身近にあります。

おいしいから、つい、もう一口。気がつけば、必要以上に食べてしまう。そういうことが、毎日少しずつ重なっていないでしょうか。

私は、そうした食べ方と体調との関係に目を向けます。中医学では、飲食の偏りや胃腸の働きも含めて、湿が生じる背景を考えるのです。

特定の食べ物を一口食べれば悪い、という話ではありません。どれだけ、どのくらいの頻度で、自分の体調に合っているか。そこが大切です。

何を食べるかだけでなく、どう食べるか。私は、いつもの食卓まで知りたいのです

何を食べるかとともに、どう食べるかも見ていきます。

冷たいものを続けて取った時に、おなかの調子が悪くなることはないでしょうか。食事を抜いた後、一度にたくさん食べていないでしょうか。

食べたり食べなかったりする。おなかがすき過ぎて、どか食いする。忙しさの中で、食べ方が不規則になっている方もいます。

中医学では、こうした食事と胃腸の働き、水分の巡りを、別々に切り離して考えません。

私は、体がだるいというお話を聞く時にも、食卓の様子まで知りたいのです。

何か珍しいものを食べた日だけではなく、いつもの食事。その積み重ねの中に、見直せることがあるかもしれません。

重だるく、すっきりしない。中医学の「湿」は、じっとりした湿地帯を思わせます

「湿」という言葉が分かりにくければ、自然の湿地帯を想像してみてください。

いつ見ても地面が湿っている。じっとりして、乾きにくい。水が動かず、そこにとどまっているように見えます。

私は、湿の持つ重さや、長く居座るような性質を、この景色に重ねて説明します。中医学では、湿が関わる不調には、重だるさや、すっきりしにくさがあると考えます。

風邪の後などに、いつまでも調子が戻らない。何となく体が重く、気持ちまで晴れない。そうした時に、湿という見方も一つの手がかりにします。

ただし、回復が遅い理由やだるさの原因は、それだけではありません。現在の症状や経過、必要な診察・検査と合わせて考えます。

川や湿地帯は、体の状態を考えるための入口なのです。

湿がさらに粘りを帯びた状態を「痰湿」と呼びます。私のたとえでは「ドロドロ水」です

中医学では、湿の停滞が続き、さらに粘りを持つような状態を考える時、「痰湿(たんしつ)」という言葉を使います。

ため池の底に、少しずつ粘りのあるものがたまっていく。そんなイメージです。

ここでいう「痰」は、せきをした時に出る痰だけを指しているのではありません。体の中の不調を捉える、中医学独自の考え方です。

私はこれを、「ドロドロ水」と表現することもあります。

「ドロドロ血」という言葉は聞いたことがあっても、「ドロドロ水」は、あまり耳にしないでしょう。体を考える時に、水分のほうにも関心を持っていただきたいのです。

ただ、この言葉から、体液の粘りを実際に測定したり、血液の状態と必ず同じように変化したりすると受け取らないでください。あくまで、中医学の痰湿を伝えるためのたとえです。

検査で異常がなくても、つらさは残る。食事も含め、いくつもの手がかりを探します

体が重い。だるい。疲れやすい。眠っても、休まった感じがしない。いつも何となく眠たい。

こうした状態があると、何をするにも元気が出にくくなります。

中医学では、このような訴えを診る時に、湿や痰湿が関係していないかを考えることがあります。私も、食事、眠り、運動、ストレスなどをお聞きし、舌や脈なども合わせて、その方の状態を見ていきます。

「検査で異常がなかったから、食べ過ぎが原因だ」と、一つに決めることはしません。だるさや眠気、めまいなどには、いろいろな背景があります。続いたり悪化したりする時には、医療機関への相談も大切です。

そのうえで、検査とともに、日々の暮らしにも目を向けたいのです。

「いつもの食べ方が、今の自分に合っているだろうか」

その問いから、見えてくることがあると思っています。

同じ重だるさでも、背景は違います。食事とともに、心の張りつめ方も見ていきます

ここまで食事の話をしてきましたが、私は食べ物だけで体調を考えているわけではありません。

ストレスも、一緒に見ていきます。

中医学では、体の働きや巡りを支えるものを「気」と考えます。精神的な緊張によって気が滞ったり、過労などで気が不足したりすると、水分を巡らせる働きにも影響すると捉えます。

巡りを妨げるものがあるのか。それとも、巡らせる力が足りなくなっているのか。

同じような重だるさでも、その背景は違うかもしれません。

私は、食事や体の状態と、心の状態を合わせて考えています。その方が、毎日どんな気持ちで過ごしているのかも知りたいのです。

忙しくても、生き生きしている人がいる。心の負担は、出来事の数だけでは分かりません

忙しく働き、大きな課題を抱えていても、生き生きと過ごしている方がいます。

私は、困り事の数だけでは、その人の負担は分からないと思っています。同じ出来事でも、どう受け止め、どう取り組むかによって、気持ちは違ってきます。

「これは大変だ。でも、乗り越えることで、次の力になるかもしれない」

そんなふうに考えられる時には、難しいことにも向き合いやすくなるでしょう。

一方で、受け止め方を変えるだけでは難しい環境もあります。つらさを感じる自分を責める必要はありません。休むことや、誰かに相談すること、負担そのものを減らすことが必要な場合もあります。

自分の心に余裕を取り戻すには、何ができるだろうか。

そのことも、日常生活を考える一部だと思っています。

「腹八分目」から始めてみる。毎日の小さな見直しが、自分を支える一歩になります

昔から、「腹八分目」といいますね。

食べ過ぎを控える。偏りを見直す。自分に合う範囲で体を動かす。休養を取り、気持ちの張りつめた時間を長引かせ過ぎない。

特別なことのようには聞こえないかもしれません。それでも私は、この毎日の積み重ねを大切にしています。

病気や不調の原因を、すべて生活のせいにすることはできません。けれども、生活の中に見直せることがあるなら、そこは自分を支えるために取り組める場所です。

今日の食事は、少し多くなかったか。

おなかの調子を見ずに、食べ続けていなかったか。

疲れているのに、無理を重ねていなかったか。

自分の体の声を、食卓や暮らしの中で聞いてみる。そこから始めていただければと思います。

食べて、巡らせて、休ませる。その働きを支える「気」の話へ進みましょう

最初に思い浮かべた、あの澄んだ川を、もう一度想像してみてください。

底の石が見えて、魚が泳ぎ、水が流れていく。

私がこの景色をお話しするのは、体を「どこが悪いか」だけでなく、「毎日の暮らしの中で、どう働いているか」という目でも見てほしいからです。

食べたものを受け止める。必要なものを巡らせる。働いた体を休ませる。

その一日一日を、少しずつ整えていく。私は、そこに健康を支える大切な手がかりがあると思っています。

今日は、中医学でいう湿と、体内の水分についてお話ししました。

では、その巡りを支える「気」とは、どのようなものなのでしょうか。

次は、そのお話をしていきたいと思います。

※効果や感じ方は人によって異なります

update:2026年10月21日 最終更新日:2026年10月21日

病名の先に、その人の暮らしを見る――筋肉を耕すことから、心と生き方まで

※効果や感じ方は人によって異なります

はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一

痛くなった時、まず知りたいこと

腰や首、肩、足が痛くなったら、まず病院へ行きますよね。何を求めて行くのかというと、やはり診断だと思います。

「どこが、どのように悪いのか」

「何が原因なのか」

「どのくらい悪いのか」

それを知りたい。腰なら、脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニア、分離症、圧迫骨折、変形性脊椎症などの病気があるのか。検査を受け、説明を聞き、必要な治療や生活上の注意を教えてもらいます。

「骨には大きな問題がありません」と言われれば、ほっとするでしょう。それでも、痛みがなくなるとは限りません。検査で痛みを説明する異常が見つからなくても、本人は痛くて困っている。そういう方に、私は何度も出会ってきました。

そこで私が大切にしているのが、筋肉の状態です。骨や神経の問題を確認したうえで、体を支え、動かしている筋肉にも目を向ける。そのことを、一人の患者さんの経験からお話ししたいと思います。

健康のためのテニスから、歩くのがつらい毎日へ

七十代の男性、仮に田中さんとしましょう。退職後も元気に過ごしたいと、何年も熱心にテニスに取り組んでいた方です。一日に二時間、長い日は四時間ほど。「健康のために体を鍛えよう」と、一生懸命だったのです。

ところが、次第に腰が痛くなり、足に痛みやしびれが出て、長く歩けなくなりました。病院では脊柱管狭窄症と診断され、その状態で数年苦しんでおられました。

当院に来られた頃は、十分ほどの道のりでも、途中で一度しゃがみ込まなければならない。しばらく休むと、また歩ける。それほどつらい状態でした。

駅までの短い道のりでも休憩が必要で、電車に乗って街へ出ても、歩く途中で何度も休む。旅行に行きたい気持ちはあるのに、思うように出かけられません。

病院での治療を続けながら、「少しでも今のつらい状態を和らげたい、自分の力で歩けるようになりたい」と、当院にご相談に来られました。

私が診て気になったのは、腰の深いところの強い硬さでした。表面が張っているというだけでなく、底のほうに、なかなか動かない硬い層があるように感じたのです。

耕されていない畑のような筋肉

私は、その状態を「耕されていない畑」にたとえます。

長い間踏まれ、固く締まった土。水をやっても、すっと中へ入っていかない。根が伸びにくく、作物も育ちにくい。荒れた畑を見ているような感覚です。

腰の深い硬さに触れた時、私は「ここが十分に養われていないのではないか」と感じました。これは触れた感覚を伝えるためのたとえで、血流や栄養状態を検査で確かめたという意味ではありません。

その硬さを、丁寧に、丁寧に扱っていく。畑を少しずつ耕すように、鍼を使って施術を続けました。

最初の頃から変化はありましたが、歩ける距離が目に見えて伸びてきたのは、四か月を過ぎたあたりからだったと記憶しています。半年ほどたつと、その変化がさらに分かるようになりました。

一年ほどたった頃には、自宅から当院まで、駅まで、という話ではなく、街へ出かけて帰ってきても大丈夫になってきました。すると、希望が広がったのです。今度は、もっと遠くへ旅行に行きたい。

病院での診察や治療と並行しながら、筋肉のケアを続けた結果、一年半ほどの頃には、諦めかけていた遠方へのご旅行にも行けるほど生活の範囲が広がりました。その後も、ご自身のペースでいろいろな土地へ出かけておられます。

途中で痛くなることはあります。それでも、以前のように何度もしゃがみ込むほどではなくなった。行ける場所が増え、楽しめることが増えてきたのです。

※患者さんの名前は仮名とし、個人が特定されないよう一部の情報を一般化しています。ここでのご紹介は筋肉のケアが生活の質の向上につながった一例であり、まずは病院での受診と医師の診断を優先していただくことを大切にしています。

病名が残っていても、暮らしは変わる

腰の深い硬さが大きく変わってきた頃、痛みや歩き方にも大きな変化が見られました。熱心に通ってくださったことと、こちらも丁寧に施術を重ねたこと。その積み重ねがあったと感じています。

私は、この方の経過を見て、病名だけに目を向けていてはいけないと、改めて思いました。

脊柱管狭窄症という診断がなくなったわけではありません。それでも、歩ける距離が伸び、旅行を楽しめるようになった。ご本人にとって、それはとても大きな変化です。

ただし、この経過だけで、骨や神経の問題がなかった、手術が不要だったと断定することはできません。この方では、筋肉の状態に目を向けた施術を続ける中で、生活に変化が見られた。その経験をお伝えしています。

「筋肉で、そんなに痛くなるんですか」

「筋肉を治療して、そんなに変わるんですか」

そう思う方もいるでしょう。筋肉が日常の動作をどれほど支えているか、意外と知られていないのではないかと思うのです。

病院での治療を受けながら、筋肉の状態や日常の体の使い方にも目を向ける。私は、その視点を大切にしていただきたいのです。

鍼という道具の魅力

畑を耕す時、手だけで掘るのは大変です。スコップなどの道具があれば、届く場所も、仕事の進め方も変わります。

野球にはバット、ゴルフにはクラブがありますね。道具があるからできることがある。私にとって、鍼もそのような道具です。

細い鍼を使い、手で触れるだけでは扱いにくい深いところへ働きかける。私は、そこに鍼の魅力を感じています。どこへ、どのように進めるのか。患者さんの反応を見ながら、丁寧に扱うことが大切です。

畑仕事も、慣れれば土の状態を感じ取り、耕し方を工夫できます。鍼灸も同じように、経験を重ねる中で分かってくることがあります。

鍼がすべての人に早く効くという話ではありません。それでも、日々の臨床で、私は「鍼を学び、使ってきてよかった」と感じるのです。

腰だけでなく、お尻の筋肉にも目を向ける

腰からお尻、太もも、ふくらはぎ、足先へと痛みやしびれが続く方がいます。一方で、腰はあまり痛くないのに、足がしびれるという方もいます。

そんな時、私はお尻の筋肉にも目を向けます。梨状筋、中殿筋、大殿筋などです。立つ、座る、歩く、階段を上り下りする。そうした毎日の動作を支えている、大切な筋肉です。

腰だけでなく、お尻の周囲も強く緊張している方を、私はよく診ます。ただし、足のしびれを筋肉だけの問題と決めつけることはしません。神経などの状態も含めて、必要な診察や検査と合わせて考えます。

「重い物は持っていません」

「激しい運動もしていません」

「ただ、ずっと座って仕事をしています」

そう話される方もいます。運動していないから、筋肉に負担がかかっていないとは限らないのです。同じ姿勢が長く続く。その中で体がどうなっているのかも、見ていく必要があります。

筋肉を養うのは、毎日の暮らし

使った筋肉を、そのままにしておかないこと。私はそこを大切に考えています。

体を適度に動かす。食事を取る。しっかり休む。その繰り返しです。

畑も、ただ踏んで使うだけでは、よい状態を保てません。筋肉も、使うことと休ませること、その筋肉を養うことを、一緒に考えたいのです。

「健康のために鍛えているから大丈夫」と思っていても、負担が自分の回復できる範囲を超えていることがあります。先ほどの患者さんについても、私は、熱心な運動の一方で、疲労を十分に回復できていなかった可能性を考えました。

その時の体に合った量で動き、回復する時間を持つことが大切だと思うのです。

そして、睡眠です。布団に入っている時間だけでなく、「よく眠れた」「朝、休まった感じがする」ということを、私は大切にしています。

寝る前までイライラしている。嫌なことをずっと考えている。そんな時は、気持ちも体も休まりにくいことがあります。できるだけ安心して、穏やかな気持ちで眠りにつく。そこも含めて、暮らしを見直したいのです。

「腰の痛みにストレス?」と思う方へ

「腰が痛いのに、ストレスが関係するなんて、そんなことないやろ」

そう思う方もいるかもしれません。

でも、緊張している時の自分を思い出してみてください。肩に力が入り、体をこわばらせ、息を詰めていませんか。私は、そうした警戒態勢が長く続いていないかを考えます。

実際に痛い体に対して、毎日の緊張や眠りの状態も含めて考えていこう、ということです。

人間の体は、一つの会社のようなもの

私は、人間の体を会社にたとえることがあります。

物を作る生産部門。必要な物を運ぶ運搬部門。情報を伝える通信部門。営業部門もあれば、全体を調整する仕事もある。いろいろな役割がつながって、一つの会社が動いています。

体も、筋肉だけ、内臓だけ、心だけが、独立して働いているわけではありません。食べる、眠る、動く、考える。それぞれが、その人の一日の中でつながっています。

ですから、腰が痛いから腰だけを見る、というわけにはいかないのです。

重い物を持った。たくさん歩いた。そうした出来事が痛みのきっかけになることはあります。その一方で、そこまでの疲れや休養、暮らし方にも目を向けたい。私は、その方が痛くなるまでの流れを知りたいのです。

忙しさの量だけでは分からない

外から見ると、仕事が大変そうで、社員もたくさん抱え、苦労の多い人がいます。それでも、本人は生き生きと仕事をしていることがありますね。

だから私は、忙しさや問題の数だけでは、その人の心の負担は分からないと思っています。どう受け止め、どう取り組んでいるのか。そこも大切です。

環境から受ける負担と、その人の受け止め方の両方に目を向けたいのです。

同じ生活の中でも、自分が何を楽しみ、何に不安を感じているのか。そうしたことを知るのも、健康を考える一つの手がかりになると思っています。

六十歳からは、どう暮らしたいかを考える

六十、七十、八十と年齢を重ねると、若い頃と同じようにはいかないと感じる場面が増えてきます。

動く速さ。疲れから戻るまでの時間。食べられる量や、楽しめる運動の量。個人差はありますが、自分の変化を受け止め、付き合い方を変えることが必要になるでしょう。

そこで私が大切だと思うのは、これからどう生きたいかを考えることです。

六十代は、どんな暮らしをしたいのか。

七十代は、何を楽しみたいのか。

八十代になったら、どのように過ごしたいのか。

先のことを全部決める必要はありません。ただ、自分の希望を持っておく。体の状態に合わせて、その希望や計画を見直していく。私は、それが大切だと思います。

自分にとっての幸せが分かると、暮らしを考えやすくなる

例えば、畑を耕して、釣りに行く。時々、夫婦で旅行に出かける。それができたら幸せだと思う人もいるでしょう。

どんな暮らしに満足できるのかが分かれば、そのために必要な働き方やお金の使い方も、具体的に考えやすくなります。

何をしたいかが定まらないままでは、いくらあれば安心なのかも見えにくい。働いても働いても、不安が残ることがあると思うのです。

暮らしに必要な費用は人によって違います。それでも、「自分は何を楽しみに生きたいのか」という問いは、自分の生活を考える出発点になります。

人がこうしているから。人の目が気になるから。そういうことばかりを基準にしなくてもよいのではないでしょうか。

私は、六十歳からは、もっと自分の好きなこと、自分が幸せだと感じられることを大切にしてよいと思っています。

年齢を重ねて、相談できる相手や外へ出る機会が減ることもあります。だからこそ、自分の希望を持ち、人とのつながりも保ちながら、これからの暮らしを考えていきたいのです。

欲望は天まで届く。それとどう付き合うか

人間の欲望には、限りがないと私は思います。

一つかなえば、また次が欲しくなる。もっと、もっとと求めていく。我欲というものは、天まで届いてしまうほど尽きないものではないでしょうか。

欲望があるから、目標も生まれます。けれども、思いどおりにならない時には、それが心の負担にもなる。欲望をすっかりなくそうとするより、その気持ちとどう付き合うかを考えたいのです。

そこで私が心に置いているのが、「中道」という考え方です。

私なりの受け止め方でいえば、一方の気持ちに走りすぎず、心の釣り合いを取り戻すことです。怒りがある時には、許す気持ちにも目を向ける。憎しみがある時には、愛情やいたわりを思い出してみる。

怒ってはいけない、悲しんではいけないということではありません。その感情だけで心がいっぱいにならないように、反対側にある気持ちも育てていく。そうして、真ん中へ戻れるようにする。私はそのように考えています。

五年間の目標も、まずは「一番一番」

例えば、七十歳から、毎年音楽の演奏やライブをしようと考えたとします。

「これから五年間、毎年続けるぞ」

それは、とてもよい目標ですね。楽しみができるし、準備にも張り合いが生まれます。

ただ、「何が何でも五年間続けなければ」と決めると、楽しみだったはずのことが、プレッシャーになる場合もあります。

そこで、相撲でいう「一番一番」です。

まず、今年の演奏を楽しむ。来年もできそうなら続ける。できる限り続けていこう、と考える。

そのほうが、気持ちは軽くなるのではないでしょうか。続けることが義務になるより、またやりたいと思えるほうが、私には自然に感じられます。

目標は持つ。でも、その目標に自分を縛りつけすぎない。もしできなかったとしても、心の平和まで失わなくてよい。目標の持ち方にも、そういう余地を残したいのです。

変えられない出来事と、今できること

災害や思いがけない出来事で、大きな苦しみを受けることがあります。過ぎた出来事そのものを、なかったことにはできません。

私は、そこで受けたつらさが、その後の毎日まで覆い続けてしまわないようにしたいと思っています。

もちろん、すぐに気持ちを変えられるとは限りません。被害を受けた事実が消えるわけでもありませんし、悲しみや怒りを無理に押し込める必要もないでしょう。

それでも、できる時に、今の自分に何ができるかを考えてみる。次の対策を考える。小さな楽しみを見つける。心の向きを、少しずつそちらへ戻していく。

出来事が起こったことで、人生のすべてが終わったわけではありません。これからの暮らしの中にも、できることや、人とのつながりが残っているかもしれません。

つらかった気持ちを、これからの自分を責め続けるものにしない。私は、そのことを大切にしたいのです。

年齢を重ねたからこそ、持てる力

六十歳、七十歳になるまでには、いろいろな経験をしてきています。

努力しても、思うようにならなかったこと。

予想もしなかったことが起こった時のこと。

そこから何とか暮らしを立て直してきたこと。

そうした経験があるから、「人生には思いどおりにならないこともある」と分かってくるのではないでしょうか。

歩くのが遅くなる。歯が悪くなる。以前できたことが、難しくなる。体の変化はあります。

でも私は、その一方で、物事を理解したり、受け入れたりする力を育てていけると思っています。年齢を重ねることには、そういうよさもあるはずです。

できないことがあってもよい。それを受け止めたうえで、今できる楽しみを考える。

「今日は、こんなことができた」

「これを楽しめた」

そういう方向へ、心を向けていく。私は、これからの毎日を、できるだけ明るく、幸せな気持ちで過ごしたいのです。

七十歳からの一日一日を楽しみに変える

これから何年あるかは、誰にも分かりません。十年かもしれないし、二十年かもしれない。だからこそ、一日一日を大切にしたいと思います。

仕事や子育てなど、長い間いろいろな責任を担ってきた方もいるでしょう。今も責任が続いている方もいると思います。それぞれの事情の中で、これからは、自分の楽しみのために使う時間も大切にしてよいのではないでしょうか。

毎日の食事を楽しむ。

気持ちよく眠ることを楽しみにする。

無理のない散歩や運動を楽しむ。

旅行の計画を立てる。

音楽や、自分の好きなことに取り組む。

健康のためだから仕方なくやる、と考えるだけでは味気ない。自分が楽しめる形に置き換えてみる。そこへ、無理のない目標も入れていく。

私は、七十歳からは、そんな生き方ができる時期でもあると思っています。

名を捨て、人目を捨てる

私が大事だと思うのは、「名を捨てる」「人目を捨てる」ということです。

立派に見られたい。

人に認められたい。

あの人より、よい暮らしをしていると思われたい。

そういうことのために、残りの時間を使いすぎなくてもよいのではないでしょうか。

自分が楽しいと思えること。夫婦で楽しめること。家族で、友人や仲間と楽しめること。そういう時間を大切にする。

人との関わりを捨てるという意味ではありません。人目のために生きることから少し自由になり、自分にとっての幸せを実際の暮らしにしていく、ということです。

これからの毎日を、できるだけ幸せに生きる。そのために体を大切にし、心の持ち方も考えていく。

私は、健康を考えることと、幸せな生き方を考えることは、つながっていると思っています。

痛みを治すことと、これからの生活を考えること

病院で診断を受ける。それは大切な出発点です。そのうえで、自分はこれからどうするのかを、医療者と相談しながら考えていく。

どのような治療を受けるのか。

どのくらい体を動かすのか。

何を食べ、どう休むのか。

よくなったら、何を楽しみたいのか。

薬をできるだけ少なくしたいという希望があっても、自分でやめるのではなく、処方した医師と相談する。そのことも含めて、自分の暮らしと治療をつなげたいのです。

これから、脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアなど、個々の病気についてもお話ししていきます。病気ごとに原因や特徴、注意すべきことは違います。その違いを大切にしながら、私は共通して、体全体と生活全体を見ることを大切にしています。

何を食べるか。どう眠るか。どう動くか。どんな気持ちで過ごすか。そして、何を楽しみに生きるか。

筋肉を耕すように整えることから始まった話は、私の中では、ここへつながっています。

痛みが和らいで、歩けるようになった。その先で、行きたかった場所へ行き、会いたかった人に会い、好きなことを楽しめるようになる。

私は、そういう暮らしにつながる治療をしていきたいと思っています。

※効果や感じ方は人によって異なります

update:2012年4月7日 最終更新日:2019年1月17日

中医学による機能性頭痛の分析(論文)

※効果や感じ方は人によって異なります

テーマ

・器質的に何の異常もないのに日常的に反復して起こる
・慢性頭痛は、鍼灸治療によって根本的に改善できる。
・罹病期間(3年、5年、20年など)に関係なく一定期間で改善できる。
・随伴症状(不眠、むかつき、など)もともに改善される。
・日常的に見られる頭痛の中には危険なものもありますが、機能性頭痛が頭痛全体の85%を占めている。
・機能性頭痛は、器質的に異常がないため軽視されがちで、根本的な改善がなされず、何年も続く慢性の頭痛となり、悩んでいる人が非常に多い。

このような機能性頭痛を中医学の視点から分析する

日常的に最も多く見られる痛みの中に頭痛があります。
頭痛の中には危険なものもありますが、器質的に何の異常もないのに反復して起こる頭痛、すなわち機能性頭痛がその85%を占めています。

機能性頭痛は根本的な改善がなされず、何年も続く慢性の頭痛となって、苦しんでいる人が非常に多いのです。(器質的に異常がないために、軽視されがち)
このような慢性頭痛は鍼灸治療によって、根本的に改善でき、罹患期間に関係なく、また頭痛に伴なう不愉快な症状、たとえば不眠、むかつきなども共に改善されます。

このような機能性頭痛を中医学の視点から分析します。

慢性頭痛の現代医学的分類と原因

・現代医学的な分類としては、緊張性頭痛、血管性頭痛、
 混合性頭痛があります。
 ①緊張性頭痛は筋肉のこりや心因性の血管収縮が原因です。
 ②血管性頭痛は頭部の血管の拡張やその周囲の炎症が原因です。
 ③混合性頭痛は、①が②合わさったもので、両方の要素を持っています。 

・病院で一般に処方される薬の例としては、
 緊張性頭痛に対しては血管を拡張させる薬が、血管性頭痛に対しては血管を収縮させる薬が投与されます。
 (両者は治療方法がまったく 異なるという点が重要なポイントである。)

(緊張性頭痛-①筋弛緩薬②循環改善薬③抗不安薬・抗うつ薬)
(血管性頭痛-①鎮痛薬②消炎鎮痛薬③血管拡張予防薬)

当院における機能性頭痛のデータ

では、まず当院のデータから見てみましょう。
・昨年、機能性頭痛を主訴として当院に来院した新患者数は 70人です。
 (随伴症状として頭痛を訴える患者や急患者は除く)

・患者の年齢は、20~30代の女性が全体の60%です。

症状の改善には即効性ありますが、根本的な改善期間は1~3か月です。
治療回数は、1~20回で、根本的な改善に要した回数は、平均10回です。

・代表的な症状
 ①毎日のように痛む、重い、締めつける→緊張性頭痛

 ②ある期間おいて短時間続く、激しくズキズキする痛み
  →血管性頭痛 (週に1ないし2回など)

 ③上記①、②を併せたもの→混合性頭痛

・随伴症状:頭痛はさまざまな随伴症状を伴なっていることが多いです。
 たとえば不眠、イライラ、むかつき目の奥の痛みなどです。
(落ち込み、身体がだるい、疲れやすい)

発症部位は①後頭部 ②側頭部、に続いて、上記の混合が多く、
③前頭部 ④頭頂部 頭痛も多く見られます。

・最も多かった原因としては、ストレス、食生活の不節制でした。

※私見
 頭痛になりやすい人はどんな人か?
 ストレスを感じやすい人、すなわち心配性の人、イライラ しやすい人、完璧主義の人など。
 まじめで几帳面な人ほど頭痛にかかりやすい。
 心配していないと気がすまない、駆り立てられているのが 当たり前になっているため、本人はストレスを受けているとは認識していないことも多い。

本論ではこれらのデータより、ストレスによる頭痛が一番多かったので、そのメカニズムを中医学的に分析したいと思います。

ストレスによる機能性頭痛の代表的なケースを中医学的に分析

現代は情報過多の時代で、日常的に激しいストレスを感じる機会が増加しています。
それらのストレスが臓腑の生理機能に影響を及ぼし、頭痛などの身体症状が引き起こされます。

ストレスが身体にどのように影響するのでしょうか

・肝は気の流れを調節しています。
・肝の働きで気は身体のすみずみまで働いています。
・肝は情緒や感情の調節を行っています。
・ストレス、即ち精神的な緊張により、気滞が生じると肝鬱気滞となります。
・肝は気だけでなく水の代謝、血の配分、筋肉の働きも調節しています。
・肝の疏泄が失調すると、血流低下や水分停滞、および首や肩の緊張、こりを引き起こします。
・それらのために、血管が収縮し、脳への血流量が低下し、頭痛が引き起こされます。

・気滞による症状の特徴として、上熱下寒、元気なのに疲れやすいなどの症状を引き起こします。
・気の偏りにより、気に過不足が生じるため、元気なのに疲れやすいなどの症状が起こります。
・気の昇発過多により上熱となる。気有余ならばすなわち火により熱が上昇し上熱下寒などの症状を引き起こします。絶対的熱量に不足はないもの。

・火の性質としては、水分の消耗、激しい痛みなどがあります。
・顔が赤く火照る、口渇、皮膚乾燥などをもたらします。

筋収縮性頭痛の症状と発生メカニズム

症状:頭が重い、締め付けられる、毎日のように痛む

随伴症状:肩こり、イライラ、眼精疲労、疲れやすい

・症状の分析
 鎮痛剤を飲んだり、首、肩をほぐしたりしても、なぜ毎日のように起こるのか?
 根本的な原因はストレスであるため、肝鬱気滞が解消されない限り、痛みは改善しない

血管性頭痛の症状と発生メカニズム

肝火による頭痛の特徴:激しい痛み主に頭頂部に起こる
肝胆は表裏関係にあるため肝火は痰火を誘って上炎しやすく、側頭部の頭痛を同時に引き起こしやすい     

症状:激しい痛み、ズキズキする痛み、ある期間をおいて短時間続く、(ある一定期間いつも同じ時間に起こる)

(以下 随伴症状;顔面の紅潮、目の充血、口苦、イライラ、急躁易怒)

(随伴症状:頭重感、眩暈、耳鳴り、目赤、のぼせ、不眠、腰がだるい)

・身体内に生じた火は、自然現象と同じように炎上の性質により、人体上部の頭部へ燃え上がる。
・風邪は陽邪で、軽々と動き舞い上がり、人体の上部である頭部を侵襲する。
・以上のように、身体内に風・火が生じると、血管の拡張とその周囲に炎症が起こる血管性の頭痛に発展する。

補足
「頭部は諸陽の会」であり、『素問・方盛衰論』には「気上不下、頭痛巓疾気(気上りて下らざれば、頭痛巓疾となる)」とある。

陽気の気逆と不順によって頭痛が引き起こされることを説明している。
風邪と火気が諸陽の経にしたがって上昇し、留まってめぐらなくなり、正気と抗争すると頭痛が起こる。

いわゆる「火の性質は炎上であり、頭頂部には風だけが到達することができる」というものである。
気が下行できなくなり昇降が失調すると、嘔吐・悪心が起こる。

頭痛の症例

男性38歳
初診:2002年4月9日
主訴:頭痛
随伴症状:不眠、めまい、イライラ、目の奥の痛み、吐き気

<現病歴>
・1ヶ月程前から頭頂部から側頭部にかけてズキズキとした激しい 頭痛
・イライラ、不眠、目の奥の痛み、眩暈、吐き気
・2時間ごとに目が覚める
・激しいめまいで一度倒れ、その後、1日数回ふらつき感がある
・上記症状改善後、胃痛、前頭部頭痛、吐き気、会社に行こうと すると、上記症状が反射的に起こるため最来院
・深夜まで仕事が続き、日曜出勤もあり多忙。

証候分析

これらの痛みは実火によるもの。
また、まれに感じるふらつき感は虚火を伴なうことが多い。
一方、肝気が胃に横逆して、肝気犯胃による胃痛を引き起こす。
緊張したりストレスがかかると症状が増悪する。

脈診:細数
舌診:紅絳舌、舌尖紅、老小
舌苔:薄白膩苔やや黄、舌下静脈怒張
     ↓
【弁証】心肝火旺
【治療方法】清肝瀉心

紅絳舌:熱  舌尖紅=心火 
薄白膩苔やや黄:熱によって湿が煮詰まる
舌下静脈怒張:気滞
激しい頭痛、イライラ、目の奥の痛み、激しい痛みは肝火によるものです。
2時間ごとに目が覚めるのは心火によるものです。メラメラと燃える心火のために神志がかき乱されて、1ヶ月も不眠が続いています。
老小:肝火や心火のため津液消耗
   固くしまっているのは実証を示し、小さい舌は熱のためにわずかに陰血が消耗したと考えます。
   陰血の消耗としてはめまい、ふらつき感、脈細です。
   肝陰が消耗し、相対的に陽が過剰になると肝陽が上亢しやすくなります。

脈:細数 脈は細ですが、指を押し上げる力は十分あり、これも実証を示しています。

治療方法

少府・行間:
本経の榮穴、五行の火穴、身熱を主治 心経・肝経の実熱を主治する 
清心瀉火 清肝瀉火に優れる
行間は肝経の子穴でもある→実証 難経69難によると実すれば、その子を瀉せ
 (肝鬱、肝火、肝風、肝陽を主治)

太衝:
・平肝潜陽(清熱熄風)舒肝解鬱の要穴
・本経の原穴であり、五行の兪土穴である。
・合谷と合わせて四関穴、調理気血(理気に優れる)
・肝鬱による各神志病を治療することができる。
・肝と脾胃の関係は密接である。
・効能:疏肝理気、平肝熄風

風池:熄風潜陽
・風池は手足少陽・陽維の交会穴
・陽維脈は諸陽を連絡させ、足太陽・少陽とは密接な関係
・陽維脈の病は寒熱にあり、風池は風邪が中に入る処なので、瀉法を行うと疏風清熱の効果あり
・本穴は胆経に属し、肝と表裏関係にある。
・肝は風木の臓で、非常に化火、清風しやすく清竅に上擾するという特性あり
・内風は陽経である胆経の上部に位置する風池に瀉法することで熄風潜陽
・風池の最大の特徴は内風も外風も治せる風の要穴であるということ

太衝・合谷・太谿・風池:平肝潜陽、熄風、滋陰
太衝・風池:鎮肝熄風
太谿:腎経の原穴、元気を補う 腎気と腎陰を補う  腎は全身の陰陽の根源→肝陰を補う
合谷・太衝・内関:寛胸理気
中・足三里・内関:募合配穴で和胃降逆      内関:理気和胃 寧心安神

治療経過

・初回の治療後、夜初めて眠れた
・3回の治療でほぼ4時間眠れるようになり、7回 の治療でイライラや、頭痛、めまいなどほぼ全ての症状は改善、治療を終了
・その後、前頭部頭痛、胃の痛み、会社に行こう とすると吐き気が反射的に起こり、最来院
・さらに、20日間、8回の治療を行い症状は改善
・以後、症状の再発なし

結論

同じストレスを受けても、人によって影響の仕方はそれぞれ異なる。
カッと頭に来やすい人、心の中でためこむタイプの人、ささいなことが気になる心配性の人、さっと受け流すことができるタイプの人など。
ストレスという同じ病因を受けたとしても、疾病の発生や発展、変化の仕方はそれぞれ異なり、同じ頭痛という症状でも病理の発生や変化の仕方によって、証候というものは一人一人異なる。

精神的要因が肝に影響し、肝一臓の病がさらに他臓に影響する

たとえば、精神的な要因一つをとっても、このように身体に影響を及ぼし、さまざまな病態に発展するということです。

・内傷頭痛は虚実が挟雑。
・また2種類あるいは3種類の証候を同時に持っている。
・標、本を見分けて、病態に応じた治療を施す。

(肝火上炎、心肝火旺、肝陽上亢、それに痰湿がからんだ疾患など、虚実 の割合、標実本虚、多臓腑疾患の場合、中心となる臓はどれかなど)

臨床においては、他臓腑の病理と痰湿、血などがからんでくるのが普通なので、問診により精神状態や飲食の仕方、随伴症状などを詳しく把握し、総合的な診断を行います。

問診では、発病の時期、痛みの部位・程度・種類・起こり方、増悪要素、食生活、随伴症状などを聞き取る。
・部位
 後頭部から項にかけての痛み(太陽経頭痛)
 前額部から眉稜骨の痛み  (陽明経頭痛)
 頭側部から耳にかけての痛み(少陽経頭痛)
 頭項部から目にかけての痛み(厥陰経頭痛)

たとえば痛みの部位は六経弁証によれば、太陽頭痛では後頭部の痛みがよく見られ、その痛みは頭頂部にまで及びます。
陽明頭痛では額部の痛みがよく見られ、その痛みは眉毛にまで及びます。
また、少陽頭痛では側頭部の痛みがよく見られ、その痛みは耳にまで及びます。
厥陰頭痛では頭頂部の痛みがよく見られ、その痛みは目にまで及びます。

このようにして、一人一人弁証して、個々の証候に合わせて治療を施すことが、機能性頭痛を改善に導くことに大変重要である。

※効果や感じ方は人によって異なります