はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一
体をつくるものと、体を動かす働き。その両方から、人体の陰陽を考えます

体の中の水分を巡らせる「気」とは、どのようなものなのでしょうか。その話を分かりやすくするために、ここで人体の陰と陽についてお話しします。
陰陽と聞くと、何か難しい話が始まりそうですね。でも、私はまず「物質と機能」という関係から説明しています。
私たちの体には五臓六腑があり、筋肉があり、骨があり、手足があります。それぞれがつながって、一つの生命体をつくっています。どれも必要なものです。
しかし、組織が存在するだけでは生きられません。胃腸は食べ物を受け止め、心臓は拍動し、肺は呼吸をする。組織があって、それが働く。その両方がそろって、私たちは生きています。
中医学では、体を形づくり、養い、潤す側を陰、温めたり動かしたりする働きの側を陽として捉える見方があります。血や津液は体を支える物質として考え、気には、その働きや巡りを支える役割を考えます。
これは、人体を理解するための中医学の枠組みです。気という名前の粒子が、体の中を走っていると確認されているわけではありません。私は、生命の働きをイメージするための言葉としてお話ししています。
難しい言葉を、最初から全部覚えなくても大丈夫です。まずは、体には、形をつくっているものと、それを働かせる力がある。その二つが支え合っているのだと、思い浮かべてみてください。
たとえば、今日一日、よく働いたとしますね。明日も元気に働きたい。その時に、さらに頑張ることだけを考えるのか、それとも、今夜はどう休もうかと考えるのか。ここに、自分を養うという視点が入ってきます。
食事も睡眠も、ただ一日の予定を埋めるものではありません。自分の体を支え直す、大事な時間なのです。中医学の陰陽の話も、そうして暮らしに重ねると、少し身近になってきませんか。
走ればガソリンが減るように、働く体にも支えが要ります。使ったら、養い直す時間を
例えば、オートバイに乗るとしましょう。
走れば走るほど、ガソリンは減りますね。速く走る、長い距離を走る。その働きを支えるために、燃料が使われます。
人体をそのまま機械に置き換えることはできませんが、活動には、それを支えるものが必要だという関係は分かりやすいでしょう。
働く。考える。体を動かす。私たちは、毎日の活動の中で力を使っています。使う一方で、食べて、眠って、休んで、自分を養うことも必要になります。
会社や国家も、組織があって、その中にいろいろな働きがありますね。生産するところ、運ぶところ、連絡を取り合うところ。それぞれが役割を果たし、全体が成り立っています。
体も同じように、一つだけを切り離して考えにくいのです。働きだけ強く求めて、支える側を置き去りにしていないか。私は、その釣り合いを考えます。
元気に動けることは、ありがたいことです。しかし、動けるからといって、いつまでも使い続けてよいとは限りません。自分を養い直す時間まで含めて、健康を考えたいのです。
ここで、食事の話を、もう一度思い出してください。使ったからといって、何でもたくさん取り入れればよい、というわけではありませんでしたね。自分に合う量を食べ、休む時には休む。働くことと養うことの、両方を見るのです。
体を大切にすると聞くと、何かをもっと足さなければ、と思うかもしれません。でも、時には予定を一つ減らすことや、食べ過ぎる習慣を見直すことも、自分を大切にする工夫になります。
何を増やしたらよいかだけでなく、何を少し減らせば楽になるだろう。その問いも、自分に向けてあげてほしいのです。
気が渋滞しているのか、力が足りないのか。同じ「進まない」でも、考えることは違います

中医学では、気に、体の働きや血・津液の巡りを押し進める作用を考えます。これを「推動作用(すいどうさよう)」といいます。
「推す」は押すことですね。物事を前に進め、動かしていく働き、と受け取っていただければよいでしょう。
その気の巡りが滞った状態を「気滞(きたい)」と呼びます。中医学では、イライラする、怒りっぽくなる、気分がふさぐといった訴えと関連づけて考えることがあります。
一方、気が不足していると捉える状態が「気虚(ききょ)」です。こちらは、動かすための力が足りないという見方です。
道に車がいっぱいで渋滞しているのか。それとも、車を進める力そのものが弱くなっているのか。外から見れば「進まない」という同じ状態でも、考えるべきことは違いますね。
私は、ストレスの多い方を診る時も、緊張して滞っているのか、長い間の心労や過労で消耗しているのかを考えます。両方が重なることもあります。
ただ緩めればよいのか。それとも、休ませ、養うことも必要なのか。一人ひとりを見なければ、そこは分かりません。
「疲れている」と一言でいっても、気持ちが張りつめて休めない時と、力を使い果たしてしまったような時では、感じ方が違いますね。中医学の気滞と気虚も、同じ言葉にまとめず、状態を分けて考えるための見方です。
だから私は、元気が出ない方に、ただ「もっと動きましょう」とだけお伝えするのではなく、今は何が必要なのかを考えたいのです。少し動くことが気分転換になる時もあれば、まず休むことを大切にしたい時もあります。
大事なのは、人と比べて足りないところを探すことではありません。今の自分が、何を求めているかに気づくことです。そのために、私はお話を丁寧に伺います。
川に入る食べ物と、流れを支える気の働き。私は、食事とストレスを一緒に考えます

先ほどは、食事と湿の関係をお話ししました。今度は、その川を巡らせる働きにも目を向けます。
中医学では、気の流れが滞っても、巡らせる力が不足しても、血や津液の動きに影響すると考えます。水分が停滞し、その状態が長く続く時には、湿や痰湿という見方にもつながります。
川に、家庭から栄養分の多い排水がたくさん流れ込む。底にものがたまり、流れが妨げられていく。食べ過ぎの話では、そんな景色を使いました。
ここでは、川へ入ってくるものだけでなく、水を送り、流れを保つ働きにも目を向けているのです。
だから私は、食事とストレスを別々の話として終わらせません。「食べ方を直してください」だけでも、「気持ちを楽にしてください」だけでも、その方の状態を十分に捉えられないことがあります。
食事はどうか。疲れはどうか。どんな気持ちで過ごしているのか。それらが、その人の中でどう重なっているかを考えます。
川のたとえでいう「汚れる」「粘る」は、中医学の状態像を伝える表現です。感情によって体液が泥に変わるという意味ではありません。そのうえで、私は、心の状態も体を考える大切な手がかりにしています。
最初の川の景色に、もう一度戻ってみましょう。水を巡らせたいと思ったら、川に何が入ってくるかだけでなく、流れを妨げているものはないかにも目を向けますね。私は、この二つの目を持ちたいのです。
食べ方を見直すことは、川へ入ってくるものを考えること。心身の疲れや緊張を見直すことは、その巡りを支える働きにも目を向けること。中医学では、そうした関係の中で湿を考えます。
ですから、食事の話をしていたのに、どうして心の話になるのだろうと、不思議に思わなくてよいのです。どちらも、その方の毎日の暮らしにつながっています。食べる自分も、悩む自分も、休む自分も、一人の自分なのですから。
舌の苔と指先に触れる脈。その小さな情報を、暮らしや症状の話と重ねていきます

では、その内側の状態を、何から考えるのでしょうか。私は、舌と脈も大切にしています。
舌の上についている白っぽいものを、舌苔(ぜったい)といいます。それが厚くなり、ねっとりとして見えることがあります。中医学では、そうした特徴も、湿や痰湿を考える材料にします。
脈にも、いろいろな感触があります。
指を押し上げる力が弱く、ちょろちょろと流れる水のように感じることがあります。お風呂の縁から、水が少しずつこぼれているような感じです。力強い流れとは違います。
一方で、コロコロと、滑らかに動いてくるような脈を感じることもあります。これは「滑脈(かつみゃく)」を説明する時の感覚です。
浅瀬の石の上を、水が乗り越えながら流れていく。水が回転するように、滑るように流れる。その様子を思い浮かべてもらうと、少し伝わるでしょうか。
私は、こうした指先の感覚を、患者さんのお話や舌の状態と重ねます。一つの脈だけで、体の中のすべてが分かるということではありません。暮らしの話、症状の経過、医療機関での検査なども含めて考えます。
見えない体の内側を、外に表れた情報から少しずつ捉えていく。そのために、問診も舌診も脈診も必要なのです。
例えば、体が重いという訴えがあって、舌の苔にも特徴があり、食べ方のお話にも気になるところがある。私は、それらを一つずつ、重ねて考えます。あらかじめ答えを決めておいて、そこに患者さんを当てはめるのではありません。
湿という言葉を知ったからといって、ご自分で舌を見て「私は湿だから大丈夫」と決めなくてよいのです。分からないことは、分からないまま相談していただいて構いません。
今のつらさが、どんな時に強くなるか。何をすると少し楽か。そういうご本人にしか分からないお話も、私には大切な情報です。舌や脈とともに、その人の言葉を聞くことを大事にしています。
口論は終わったのに、頭の中では続いている。その思いから離れる時間をつくりませんか

ここからは、もう少し心の話をしましょう。
「腹が立つなあ」
「あんなことを言われて、悔しいなあ」
「一人で寂しいなあ」
怒り、悲しみ、不安、孤独。怖い思いをしたり、驚いて緊張したりすることもあります。どれも、人間には自然に生まれる感情です。
ただ、その思いをずっと胸の中に持ち続けていると、どうでしょう。
相手はもう目の前にいない。口論も終わった。それなのに、自分の頭の中では、同じ会話が何度も繰り返されている。思い出すたびに、また腹が立つ。肩に力が入り、息まで詰まってくる。
私は、そういう「ひとところにとどまってしまうこと」を気にかけています。中医学でも、感情が長く強く続くことを、気や血などの働きに関わるものとして考えます。
出来事そのものと、その後も自分の中で繰り返している思い。この二つを、一度、分けて眺めてみるのもよいかもしれません。
気分転換が必要です。場所を変える。誰かと話す。体を動かす。今の考えから、少し離れてみる。
つらいことを、無理に忘れようとする必要はありません。ただ、その思いだけで一日が埋まってしまわないように、違う時間をつくってあげたいのです。
「考えないようにしよう」と思うほど、また考えてしまうこともありますね。だから、思いを消すことを、もう一つの頑張りにしなくてよいのです。
ひとまず立ち上がってみる。窓の外へ目を向けてみる。誰かと別の話をしてみる。問題の答えを出す前に、その問題から少し離れた時間を、自分に渡してあげるのです。
一度離れても、また思い出すかもしれません。それでも構いません。また気づいた時に、少し離れてみる。心の扱い方も、その繰り返しの中で学んでいけると、私は思っています。
何を食べるかと、どんな気持ちで過ごすか。体を養うものと働かせるものを、両方見ます
「血液がドロドロになる」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
私は、それを説明の入口にすることはありますが、気分だけで血液の粘度が決まるとは考えていません。「流れが悪い」という中医学の話と、実際の血液検査で調べることも、同じではありません。
中医学では、気が血の巡りを支えると考えます。気の働きが滞ったり弱くなったりすれば、血の巡りにも目を向けるのです。
同時に、何を食べて体を養っているかも大切です。よいものを食べているから、それだけで十分なのか。毎日、強く緊張し、眠れず、休めていないとしたら、そちらにも目を向ける必要があります。
体を養うものと、働かせるもの。その両方を考えるという、最初の陰陽の話につながってきましたね。
私は、食べ物の内容をお聞きしながら、その食事をどんな気分で取っているのか、その前後をどう過ごしているのかも知りたいと思っています。
食事をしている時にも、頭の中ではずっと仕事の続きを考えている。食べ終わっても、何を食べたか、味わいもよく覚えていない。そんな日が続いていないでしょうか。
その時は、献立を変えるだけでなく、食べる時間の過ごし方も、一緒に眺めてみたいのです。食べることを楽しめているか。自分の空腹や満腹に、気づけているか。少し落ち着いて食卓に向かう時間があるか。
体を養うということは、特別な知識を使う時だけの話ではありません。毎日の食卓にも、眠る前のひとときにもあります。私は、そういう身近なところから、その方に合う工夫を探したいと思っています。
「こういう性格だから」と諦める前に。自分を縛る思い込みがないか、考えてみませんか

その日のストレスなら、休んだり、話したりして楽になることもあります。しかし、どうしても同じところでつまずいてしまう方もいます。
そうしたくないのに、気がつけば同じことをしている。大事な時ほど、思うように振る舞えない。自分の本当の気持ちに反したことをして、後から自分に腹が立つ。
「私は、こういう性格だから」
そう思って諦めているかもしれません。でも、その反応のすべてを、生まれつきの性格と決めなくてもよいのです。
心理学の話で使われる「ビリーフ」は、自分や物事についての信念や思い込みを表します。その中でも、行動や選択を狭める思い込みを「リミッティング・ビリーフ」と呼ぶことがあります。
幼い頃に身につけた受け止め方を、長い間、持ち続けていることがあります。本人にとっては当たり前なので、意識していません。意識しないまま、今の選択に関わっているのです。
自分の望みと、身につけてきた思い込みとの間で、いつも葛藤している。そんな見方が必要になることもあります。
性格や苦しさを、生まれつきと後天的なものの割合だけで説明することはできません。それでも、「一生変わらない」と決める前に、専門家と一緒に考え直せる部分がある。その可能性を、私は大切にしています。
長い間、自分を支えてきた考え方が、今は窮屈に感じられることもあるでしょう。昔は必要だった受け止め方を、今も同じように持ち続けているのかもしれません。
もしそうなら、「こんな自分は駄目だ」と責める前に、「なぜ、この考え方を大事にしてきたのだろう」と、少し優しく問いかけてみることもできます。すぐに答えが出なくてもよいのです。
自分を知ることは、自分を裁くことではありません。困っている自分に、どんな助けがあればよいかを探すことです。難しい時には、一人で解こうとせず、専門家と一緒に考えていけばよいと思います。
五年、十年と続く頭痛。必要な診察を大切にしながら、心の緊張にも耳を傾けます
五年、十年と長く頭痛に悩んでいる方のお話を伺う時にも、私は、体の状態だけでなく、心の負担に耳を傾けます。
ストレスが少ない時には楽だという方もいれば、いつも緊張が抜けず、頭痛から離れられないと感じている方もいます。
私の臨床経験では、思い込みや心の葛藤を一緒に考えることが、その方の助けになったと感じる場面がありました。
頭痛の原因が、すべて思い込みだということではありません。必要な診察を受け、頭痛そのものの評価や治療も大切にします。そのうえで、毎日どんな緊張を抱えているのか、自分を追い詰める考えが続いていないかにも目を向けるのです。
体に触れ、生活を聞き、心の話にも耳を傾ける。そうして初めて、見えてくることがあります。
「新婚旅行に行きたいのに、飛行機に乗れない」。その悩みの先に、叶えたい暮らしがありました
忘れられない方がいます。
首や肩、腰の治療に来られ、体の痛みはよくなってきた。ところが、まだ大きな困り事があるというのです。
「結婚を控えているんです。でも、飛行機に乗れないんです」
電車に乗ることにも不安がある。新婚旅行に行きたいのに、その飛行機に乗れない。楽しみなはずの予定が、切実な悩みになっていました。
その方にも、強い思い込みや心の負担がありました。私は、体の治療だけで話を終えず、そうした面も一緒に考えました。
その後、飛行機に乗れた。無事に新婚旅行へ行けた。そのお話を聞いた時は、本当にうれしかったですね。
何か一つの働きかけだけで変化したと断定することはできません。でも、その方にとっては「乗り物に乗れた」というだけではないのです。行きたかった場所へ行けた。大切な人との時間を過ごせた。その喜びがあります。
私は、症状の向こうにある、その人の生活を大事にしたいと思っています。
このお話で私が残しておきたいのは、症状の名前だけでは、その方の困り方までは分からないということです。同じ不安でも、その先にある願いは、一人ひとり違います。
買い物へ行きたい。友人に会いたい。家族と旅行がしたい。そうした日常の願いを伺うことで、何をお手伝いしたいのかが、より具体的になります。
「どこがつらいですか」とともに、「それが楽になったら、何をしたいですか」と考える。私は、健康を、その人が大切にしている暮らしとつなげて見ていきたいのです。
体のことを相談するように、心のことも相談してよいのです。一人で抱え込まないでください
開業して三年ほどたった頃から、体を診るだけでは十分に応じられない場面に、何度も出会いました。心のことを、もっと学ばなければいけない。そう感じて心理学を学び、臨床に生かすようになって、およそ三十五年になります。
以前、神経症と呼ばれていたような不安の問題や、心と体の両方に関わる訴えについても、心の側から考える視点を得ました。
ご本人が「やっと楽になった」「解放されたようだ」と話してくださることがあります。私にとっても、うれしい瞬間です。
ただ、誰もが自分一人で気づき、思い込みを外せるわけではありません。私自身の対応できる範囲も含めて考え、必要な専門家につなぐことが大切です。
心療内科や精神科には、行きにくさを感じる方もいるでしょう。でも、誰でも心の不調を経験する可能性があります。体の不調を相談するように、心のことも相談してよいのです。
医師や、適切な資格と経験のある心理職など、力になれる人はいます。一人で抱え込まず、自分に合う助けを探していただきたいと思います。
まず、吐く息に気づいてみる。長さを競わず、心地よい呼吸から始めましょう

では、日常生活の中で、気の滞りや張りつめた気持ちに対して、何ができるのでしょうか。
私が大切にしているものの一つが、呼吸です。
ゆったりと、気持ちよく息を吐く。吐き終わって力を抜くと、自然に息が入ってくる。そしてまた、穏やかに吐いていく。
私は、こういう呼吸の感覚を大切にしています。
吐こうとしても、すぐに苦しくなって吸わなければならない。息を吐くことにも、どこか力が入っている。そんな時は、自分の体が今、どれほど緊張しているかを感じるきっかけになります。
ただし、長く吐けるほど偉いということではありません。無理に息を絞り出したり、決まった長さに合わせて苦しさを我慢したりする必要はありません。
まず、楽な姿勢で、自分の呼吸に気づく。今の自分が、心地よくできる範囲から始めてほしいのです。
今、この文章を読んでいる間の呼吸は、どうでしょう。息を変えようとする前に、そのまま感じてみてください。肩やおなかは、どんなふうに動いているでしょうか。
「ああ、少し力が入っていたな」と気づいたら、それで十分です。すぐに上手な呼吸に直そうとしなくても構いません。楽に座り直して、今の自分が無理なく吐ける息を、ゆっくり感じてみます。
健康のための時間が、また自分を追い立てる時間になっては、もったいないですね。私は、呼吸を、自分に戻り、自分を休ませるための入口にしていただきたいと思っています。
泣く時と、笑う時では、呼吸も違う。私は、そこに心と体のつながりを感じます
泣いている時の呼吸を思い出してください。
息が途切れ、しゃくり上げて、なかなか滑らかに吐けないことがあります。悲しさや悔しさで、体にも力が入っています。
では、おなかを抱えて笑っている時は、どうでしょう。
「ははは」と息を吐いて、体まで揺れている。笑い終わると、ふっと力が抜けるような感じがありますね。
私は、呼吸と感情のつながりを説明する時、この二つを比べていただきます。
気持ちが呼吸に表れる。それなら、呼吸に気づき、体の力を緩めることも、気持ちを整える入口になるのではないか。そう考えているのです。
普段の呼吸で、笑う時のような強さを出し続ける必要はありません。穏やかに、無理なく息を吐けることを大切にします。
お風呂から上がった時の、あのゆったりした気分。肩の力が抜けて、ほっとする感じ。私は、その感覚を暮らしの中にも取り戻したいと思っています。
気持ちを変えることは難しくても、今、体に力が入っていることなら、気づける時があります。肩を少し緩める。顔の力を抜く。息を急がずに吐いてみる。心のことに、体の側から近づいてみるのです。
逆に、楽しい話をして笑った時には、呼吸を細かく考えなくても、体が自然に動いていることがありますね。私は、そういう何気ない体験にも、心と体を知る手がかりがあると思っています。
心だけ、体だけと分けずに、一人の自分を見てあげる。そのことを、呼吸の話でも繰り返しお伝えしたいのです。
画面を見ながら、息を詰めていませんか。慣れた呼吸の癖は、自分では気づきにくいものです
普段、息の吸い方や吐き方を、気にしているでしょうか。
吸う時に肩を持ち上げていないか。画面を見ながら、知らないうちに息を詰めていないか。慌ただしい呼吸を、そのまま当たり前にしていないか。
私は、呼吸にも、繰り返しの中で身についた傾向があると感じています。ご本人は慣れているので、それが浅いのか、力が入っているのか、気づかないことがあります。
「たかが呼吸で、そんなに違いますか」
そう思われるかもしれません。でも、一日の間、ずっと続けているものです。その呼吸を、自分が心地よいと感じられるものとして見直してみる意味はあると思うのです。
呼吸の速さが変わったり、リズムが落ち着かなかったりする時には、体調や緊張なども合わせて考えます。呼吸だけで性格や感情を決めることはしません。
「変えなければ」と力む前に、「今、こんな呼吸をしていたんだな」と気づく。その小さなところから始めます。
手首を持たれるだけでも緊張する方がいる。脈の変化から、普段の休み方まで考えます
脈を診ていると、精神的な緊張が体にどう表れるかを考えさせられます。
最初の十秒、二十秒ほどは触れていた脈が、しばらくすると、沈むように感じられる。弱くなったように感じ、また出てくる。そういう変化に出会うことがあります。
「手首を持たれているだけでも、緊張しておられるのかな」
私は、その時の表情や呼吸、ご本人の感じ方を確かめながら考えます。指の圧や腕の位置なども関わるので、脈の変化だけで精神状態を言い当てられるわけではありません。
それでも、普段から緊張が続きやすい方なのか、落ち着ける時間が少ないのかを知る入口になります。
そうであれば、施術中だけ緩んでもらって終わりにはできません。眠り、食事、運動、休み方。日常のどこに、楽になれる時間をつくれるだろうか。その提案まで考えたいのです。
考えが同じところを回る時は、景色の中を歩いてみる。体を動かし、違う時間をつくります

気分転換の方法として、体を動かすことも大切にしています。
どうしてもイライラする。考えがまとまらない。同じことばかり思い出してしまう。そんな時に、歩いてみるのです。
景色を眺めながら歩く。鼻歌を歌う。楽しいことを思い浮かべる。時には、ただ足を動かすことに気持ちを向ける。
五分、十分、十五分。先ほどとは少し違う気分になった、と感じることがあります。家の中で考え続けていた時とは、目に入るものも、体の使い方も、呼吸も変わりますね。
私は、その変化を大事にしています。速く歩く日も、ゆっくり歩く日もあってよい。長さを目標にして無理を重ねるより、自分の体調に合う歩き方を選びます。
外を歩けない時でも、家の中で立ち上がる、少し歩く、姿勢を変えることはできます。
立つ。座る。歩く。必要なら横になって休む。同じ姿勢をずっと続ける中に、小さな変化を入れるのです。
同じ机の前で考え続けている時と、空や木を見ながら歩いている時では、目に入ってくるものが違います。頭の中の話だけだったところに、目の前の景色が入ってくるのです。
だから、歩いている間も、答えを出さなければと頑張らなくてよいのです。今日は風があるな。あの木の色が変わってきたな。そんな小さなことに気づくだけの時間があってもよいでしょう。
体を動かすことは、運動量を増やすためだけのものではありません。自分の過ごし方に変化をつくることでもあります。食事や休養と同じように、その日の自分に合うやり方を選んでいただきたいのです。
交感神経も、副交感神経も大切です。活動する時と休む時、その場に合う切り替えを
呼吸や緊張をお話しする時、自律神経の話も出てきます。
交感神経は、活動や緊張が必要な場面を支えます。集中しなければならない時や、行動する時に必要な働きです。一方、休息や消化などに関わる副交感神経の働きも大切です。
どちらかをなくせばよいという話ではありません。仕事に向かう時には働き、休む時には休める。その場に応じた調整を大切にしたいのです。
吸う息と吐く息は、自律神経の働きとも関係します。ただ、「吸えば交感神経、吐けば副交感神経」と、スイッチのように完全に切り替わるわけではありません。運動中の体の働きも、それほど単純ではありません。
私がお伝えしたいのは、ずっと緊張したまま、同じ姿勢で、同じ考えにとらわれていないかということです。
体を動かした後、気持ちよく休む。仕事の合間に、呼吸を楽にする。そういう切り替えを、生活の中につくっていきたいのです。
仕事が終わったのに、心の中ではまだ仕事を続けている。横になっても、次にすることばかり考えている。体を止めたつもりでも、気持ちは休めていないことがありますね。
その時に、休めない自分を責めるのではなく、どんなふうにすれば一区切りつけられるかを考えたいのです。立ち上がって場所を変える。呼吸に気づく。好きなことをする時間を、少しつくる。
活動できることと、休めること。私は、両方が大切だとお伝えしています。頑張る力だけでなく、自分を休ませる工夫も、暮らしの中で育てていきたいのです。
息を長く止められれば健康、とは限りません。日常では、無理なく息が出入りすることを
重い物を持つ瞬間や、何かに強く集中した時、自然に息が止まることがあります。水の中を泳ぐ時にも、息を止める場面がありますね。
ヨガでは、息を保つことを「クンバカ」と呼ぶことがあります。私は、ヨガを学ぶ中で、吐く、吸う、保つという呼吸の働きにも関心を持ってきました。
ただし、息を長く止められるかどうかだけで、健康や体力を判断することはできません。日常の健康法として、苦しくなるまで息を止める練習を勧めたいのでもありません。
まず大切にしたいのは、力まず、自然に息が出入りすることです。呼吸の苦しさやめまいを我慢しない。体の声を聞きながら行うことが、その前提です。
※効果や感じ方は人によって異なります










