はらだ鍼灸整骨院 院長 原田浩一
痛くなった時、まず知りたいこと

腰や首、肩、足が痛くなったら、まず病院へ行きますよね。何を求めて行くのかというと、やはり診断だと思います。
「どこが、どのように悪いのか」
「何が原因なのか」
「どのくらい悪いのか」
それを知りたい。腰なら、脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニア、分離症、圧迫骨折、変形性脊椎症などの病気があるのか。検査を受け、説明を聞き、必要な治療や生活上の注意を教えてもらいます。
「骨には大きな問題がありません」と言われれば、ほっとするでしょう。それでも、痛みがなくなるとは限りません。検査で痛みを説明する異常が見つからなくても、本人は痛くて困っている。そういう方に、私は何度も出会ってきました。
そこで私が大切にしているのが、筋肉の状態です。骨や神経の問題を確認したうえで、体を支え、動かしている筋肉にも目を向ける。そのことを、一人の患者さんの経験からお話ししたいと思います。
健康のためのテニスから、歩くのがつらい毎日へ

七十代の男性、仮に田中さんとしましょう。退職後も元気に過ごしたいと、何年も熱心にテニスに取り組んでいた方です。一日に二時間、長い日は四時間ほど。「健康のために体を鍛えよう」と、一生懸命だったのです。
ところが、次第に腰が痛くなり、足に痛みやしびれが出て、長く歩けなくなりました。病院では脊柱管狭窄症と診断され、その状態で数年苦しんでおられました。
当院に来られた頃は、十分ほどの道のりでも、途中で一度しゃがみ込まなければならない。しばらく休むと、また歩ける。それほどつらい状態でした。
駅までの短い道のりでも休憩が必要で、電車に乗って街へ出ても、歩く途中で何度も休む。旅行に行きたい気持ちはあるのに、思うように出かけられません。
病院での治療を続けながら、「少しでも今のつらい状態を和らげたい、自分の力で歩けるようになりたい」と、当院にご相談に来られました。
私が診て気になったのは、腰の深いところの強い硬さでした。表面が張っているというだけでなく、底のほうに、なかなか動かない硬い層があるように感じたのです。
耕されていない畑のような筋肉

私は、その状態を「耕されていない畑」にたとえます。
長い間踏まれ、固く締まった土。水をやっても、すっと中へ入っていかない。根が伸びにくく、作物も育ちにくい。荒れた畑を見ているような感覚です。
腰の深い硬さに触れた時、私は「ここが十分に養われていないのではないか」と感じました。これは触れた感覚を伝えるためのたとえで、血流や栄養状態を検査で確かめたという意味ではありません。
その硬さを、丁寧に、丁寧に扱っていく。畑を少しずつ耕すように、鍼を使って施術を続けました。
最初の頃から変化はありましたが、歩ける距離が目に見えて伸びてきたのは、四か月を過ぎたあたりからだったと記憶しています。半年ほどたつと、その変化がさらに分かるようになりました。
一年ほどたった頃には、自宅から当院まで、駅まで、という話ではなく、街へ出かけて帰ってきても大丈夫になってきました。すると、希望が広がったのです。今度は、もっと遠くへ旅行に行きたい。
病院での診察や治療と並行しながら、筋肉のケアを続けた結果、一年半ほどの頃には、諦めかけていた遠方へのご旅行にも行けるほど生活の範囲が広がりました。その後も、ご自身のペースでいろいろな土地へ出かけておられます。
途中で痛くなることはあります。それでも、以前のように何度もしゃがみ込むほどではなくなった。行ける場所が増え、楽しめることが増えてきたのです。
※患者さんの名前は仮名とし、個人が特定されないよう一部の情報を一般化しています。ここでのご紹介は筋肉のケアが生活の質の向上につながった一例であり、まずは病院での受診と医師の診断を優先していただくことを大切にしています。
病名が残っていても、暮らしは変わる

腰の深い硬さが大きく変わってきた頃、痛みや歩き方にも大きな変化が見られました。熱心に通ってくださったことと、こちらも丁寧に施術を重ねたこと。その積み重ねがあったと感じています。
私は、この方の経過を見て、病名だけに目を向けていてはいけないと、改めて思いました。
脊柱管狭窄症という診断がなくなったわけではありません。それでも、歩ける距離が伸び、旅行を楽しめるようになった。ご本人にとって、それはとても大きな変化です。
ただし、この経過だけで、骨や神経の問題がなかった、手術が不要だったと断定することはできません。この方では、筋肉の状態に目を向けた施術を続ける中で、生活に変化が見られた。その経験をお伝えしています。
「筋肉で、そんなに痛くなるんですか」
「筋肉を治療して、そんなに変わるんですか」
そう思う方もいるでしょう。筋肉が日常の動作をどれほど支えているか、意外と知られていないのではないかと思うのです。
病院での治療を受けながら、筋肉の状態や日常の体の使い方にも目を向ける。私は、その視点を大切にしていただきたいのです。
鍼という道具の魅力

畑を耕す時、手だけで掘るのは大変です。スコップなどの道具があれば、届く場所も、仕事の進め方も変わります。
野球にはバット、ゴルフにはクラブがありますね。道具があるからできることがある。私にとって、鍼もそのような道具です。
細い鍼を使い、手で触れるだけでは扱いにくい深いところへ働きかける。私は、そこに鍼の魅力を感じています。どこへ、どのように進めるのか。患者さんの反応を見ながら、丁寧に扱うことが大切です。
畑仕事も、慣れれば土の状態を感じ取り、耕し方を工夫できます。鍼灸も同じように、経験を重ねる中で分かってくることがあります。
鍼がすべての人に早く効くという話ではありません。それでも、日々の臨床で、私は「鍼を学び、使ってきてよかった」と感じるのです。
腰だけでなく、お尻の筋肉にも目を向ける

腰からお尻、太もも、ふくらはぎ、足先へと痛みやしびれが続く方がいます。一方で、腰はあまり痛くないのに、足がしびれるという方もいます。
そんな時、私はお尻の筋肉にも目を向けます。梨状筋、中殿筋、大殿筋などです。立つ、座る、歩く、階段を上り下りする。そうした毎日の動作を支えている、大切な筋肉です。
腰だけでなく、お尻の周囲も強く緊張している方を、私はよく診ます。ただし、足のしびれを筋肉だけの問題と決めつけることはしません。神経などの状態も含めて、必要な診察や検査と合わせて考えます。
「重い物は持っていません」
「激しい運動もしていません」
「ただ、ずっと座って仕事をしています」
そう話される方もいます。運動していないから、筋肉に負担がかかっていないとは限らないのです。同じ姿勢が長く続く。その中で体がどうなっているのかも、見ていく必要があります。
筋肉を養うのは、毎日の暮らし

使った筋肉を、そのままにしておかないこと。私はそこを大切に考えています。
体を適度に動かす。食事を取る。しっかり休む。その繰り返しです。
畑も、ただ踏んで使うだけでは、よい状態を保てません。筋肉も、使うことと休ませること、その筋肉を養うことを、一緒に考えたいのです。
「健康のために鍛えているから大丈夫」と思っていても、負担が自分の回復できる範囲を超えていることがあります。先ほどの患者さんについても、私は、熱心な運動の一方で、疲労を十分に回復できていなかった可能性を考えました。
その時の体に合った量で動き、回復する時間を持つことが大切だと思うのです。
そして、睡眠です。布団に入っている時間だけでなく、「よく眠れた」「朝、休まった感じがする」ということを、私は大切にしています。
寝る前までイライラしている。嫌なことをずっと考えている。そんな時は、気持ちも体も休まりにくいことがあります。できるだけ安心して、穏やかな気持ちで眠りにつく。そこも含めて、暮らしを見直したいのです。
「腰の痛みにストレス?」と思う方へ
「腰が痛いのに、ストレスが関係するなんて、そんなことないやろ」
そう思う方もいるかもしれません。
でも、緊張している時の自分を思い出してみてください。肩に力が入り、体をこわばらせ、息を詰めていませんか。私は、そうした警戒態勢が長く続いていないかを考えます。
実際に痛い体に対して、毎日の緊張や眠りの状態も含めて考えていこう、ということです。
人間の体は、一つの会社のようなもの

私は、人間の体を会社にたとえることがあります。
物を作る生産部門。必要な物を運ぶ運搬部門。情報を伝える通信部門。営業部門もあれば、全体を調整する仕事もある。いろいろな役割がつながって、一つの会社が動いています。
体も、筋肉だけ、内臓だけ、心だけが、独立して働いているわけではありません。食べる、眠る、動く、考える。それぞれが、その人の一日の中でつながっています。
ですから、腰が痛いから腰だけを見る、というわけにはいかないのです。
重い物を持った。たくさん歩いた。そうした出来事が痛みのきっかけになることはあります。その一方で、そこまでの疲れや休養、暮らし方にも目を向けたい。私は、その方が痛くなるまでの流れを知りたいのです。
忙しさの量だけでは分からない

外から見ると、仕事が大変そうで、社員もたくさん抱え、苦労の多い人がいます。それでも、本人は生き生きと仕事をしていることがありますね。
だから私は、忙しさや問題の数だけでは、その人の心の負担は分からないと思っています。どう受け止め、どう取り組んでいるのか。そこも大切です。
環境から受ける負担と、その人の受け止め方の両方に目を向けたいのです。
同じ生活の中でも、自分が何を楽しみ、何に不安を感じているのか。そうしたことを知るのも、健康を考える一つの手がかりになると思っています。
六十歳からは、どう暮らしたいかを考える

六十、七十、八十と年齢を重ねると、若い頃と同じようにはいかないと感じる場面が増えてきます。
動く速さ。疲れから戻るまでの時間。食べられる量や、楽しめる運動の量。個人差はありますが、自分の変化を受け止め、付き合い方を変えることが必要になるでしょう。
そこで私が大切だと思うのは、これからどう生きたいかを考えることです。
六十代は、どんな暮らしをしたいのか。
七十代は、何を楽しみたいのか。
八十代になったら、どのように過ごしたいのか。
先のことを全部決める必要はありません。ただ、自分の希望を持っておく。体の状態に合わせて、その希望や計画を見直していく。私は、それが大切だと思います。
自分にとっての幸せが分かると、暮らしを考えやすくなる

例えば、畑を耕して、釣りに行く。時々、夫婦で旅行に出かける。それができたら幸せだと思う人もいるでしょう。
どんな暮らしに満足できるのかが分かれば、そのために必要な働き方やお金の使い方も、具体的に考えやすくなります。
何をしたいかが定まらないままでは、いくらあれば安心なのかも見えにくい。働いても働いても、不安が残ることがあると思うのです。
暮らしに必要な費用は人によって違います。それでも、「自分は何を楽しみに生きたいのか」という問いは、自分の生活を考える出発点になります。
人がこうしているから。人の目が気になるから。そういうことばかりを基準にしなくてもよいのではないでしょうか。
私は、六十歳からは、もっと自分の好きなこと、自分が幸せだと感じられることを大切にしてよいと思っています。
年齢を重ねて、相談できる相手や外へ出る機会が減ることもあります。だからこそ、自分の希望を持ち、人とのつながりも保ちながら、これからの暮らしを考えていきたいのです。
欲望は天まで届く。それとどう付き合うか

人間の欲望には、限りがないと私は思います。
一つかなえば、また次が欲しくなる。もっと、もっとと求めていく。我欲というものは、天まで届いてしまうほど尽きないものではないでしょうか。
欲望があるから、目標も生まれます。けれども、思いどおりにならない時には、それが心の負担にもなる。欲望をすっかりなくそうとするより、その気持ちとどう付き合うかを考えたいのです。
そこで私が心に置いているのが、「中道」という考え方です。
私なりの受け止め方でいえば、一方の気持ちに走りすぎず、心の釣り合いを取り戻すことです。怒りがある時には、許す気持ちにも目を向ける。憎しみがある時には、愛情やいたわりを思い出してみる。
怒ってはいけない、悲しんではいけないということではありません。その感情だけで心がいっぱいにならないように、反対側にある気持ちも育てていく。そうして、真ん中へ戻れるようにする。私はそのように考えています。
五年間の目標も、まずは「一番一番」

例えば、七十歳から、毎年音楽の演奏やライブをしようと考えたとします。
「これから五年間、毎年続けるぞ」
それは、とてもよい目標ですね。楽しみができるし、準備にも張り合いが生まれます。
ただ、「何が何でも五年間続けなければ」と決めると、楽しみだったはずのことが、プレッシャーになる場合もあります。
そこで、相撲でいう「一番一番」です。
まず、今年の演奏を楽しむ。来年もできそうなら続ける。できる限り続けていこう、と考える。
そのほうが、気持ちは軽くなるのではないでしょうか。続けることが義務になるより、またやりたいと思えるほうが、私には自然に感じられます。
目標は持つ。でも、その目標に自分を縛りつけすぎない。もしできなかったとしても、心の平和まで失わなくてよい。目標の持ち方にも、そういう余地を残したいのです。
変えられない出来事と、今できること

災害や思いがけない出来事で、大きな苦しみを受けることがあります。過ぎた出来事そのものを、なかったことにはできません。
私は、そこで受けたつらさが、その後の毎日まで覆い続けてしまわないようにしたいと思っています。
もちろん、すぐに気持ちを変えられるとは限りません。被害を受けた事実が消えるわけでもありませんし、悲しみや怒りを無理に押し込める必要もないでしょう。
それでも、できる時に、今の自分に何ができるかを考えてみる。次の対策を考える。小さな楽しみを見つける。心の向きを、少しずつそちらへ戻していく。
出来事が起こったことで、人生のすべてが終わったわけではありません。これからの暮らしの中にも、できることや、人とのつながりが残っているかもしれません。
つらかった気持ちを、これからの自分を責め続けるものにしない。私は、そのことを大切にしたいのです。
年齢を重ねたからこそ、持てる力

六十歳、七十歳になるまでには、いろいろな経験をしてきています。
努力しても、思うようにならなかったこと。
予想もしなかったことが起こった時のこと。
そこから何とか暮らしを立て直してきたこと。
そうした経験があるから、「人生には思いどおりにならないこともある」と分かってくるのではないでしょうか。
歩くのが遅くなる。歯が悪くなる。以前できたことが、難しくなる。体の変化はあります。
でも私は、その一方で、物事を理解したり、受け入れたりする力を育てていけると思っています。年齢を重ねることには、そういうよさもあるはずです。
できないことがあってもよい。それを受け止めたうえで、今できる楽しみを考える。
「今日は、こんなことができた」
「これを楽しめた」
そういう方向へ、心を向けていく。私は、これからの毎日を、できるだけ明るく、幸せな気持ちで過ごしたいのです。
七十歳からの一日一日を楽しみに変える

これから何年あるかは、誰にも分かりません。十年かもしれないし、二十年かもしれない。だからこそ、一日一日を大切にしたいと思います。
仕事や子育てなど、長い間いろいろな責任を担ってきた方もいるでしょう。今も責任が続いている方もいると思います。それぞれの事情の中で、これからは、自分の楽しみのために使う時間も大切にしてよいのではないでしょうか。
毎日の食事を楽しむ。
気持ちよく眠ることを楽しみにする。
無理のない散歩や運動を楽しむ。
旅行の計画を立てる。
音楽や、自分の好きなことに取り組む。
健康のためだから仕方なくやる、と考えるだけでは味気ない。自分が楽しめる形に置き換えてみる。そこへ、無理のない目標も入れていく。
私は、七十歳からは、そんな生き方ができる時期でもあると思っています。
名を捨て、人目を捨てる

私が大事だと思うのは、「名を捨てる」「人目を捨てる」ということです。
立派に見られたい。
人に認められたい。
あの人より、よい暮らしをしていると思われたい。
そういうことのために、残りの時間を使いすぎなくてもよいのではないでしょうか。
自分が楽しいと思えること。夫婦で楽しめること。家族で、友人や仲間と楽しめること。そういう時間を大切にする。
人との関わりを捨てるという意味ではありません。人目のために生きることから少し自由になり、自分にとっての幸せを実際の暮らしにしていく、ということです。
これからの毎日を、できるだけ幸せに生きる。そのために体を大切にし、心の持ち方も考えていく。
私は、健康を考えることと、幸せな生き方を考えることは、つながっていると思っています。
痛みを治すことと、これからの生活を考えること

病院で診断を受ける。それは大切な出発点です。そのうえで、自分はこれからどうするのかを、医療者と相談しながら考えていく。
どのような治療を受けるのか。
どのくらい体を動かすのか。
何を食べ、どう休むのか。
よくなったら、何を楽しみたいのか。
薬をできるだけ少なくしたいという希望があっても、自分でやめるのではなく、処方した医師と相談する。そのことも含めて、自分の暮らしと治療をつなげたいのです。
これから、脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアなど、個々の病気についてもお話ししていきます。病気ごとに原因や特徴、注意すべきことは違います。その違いを大切にしながら、私は共通して、体全体と生活全体を見ることを大切にしています。
何を食べるか。どう眠るか。どう動くか。どんな気持ちで過ごすか。そして、何を楽しみに生きるか。
筋肉を耕すように整えることから始まった話は、私の中では、ここへつながっています。
痛みが和らいで、歩けるようになった。その先で、行きたかった場所へ行き、会いたかった人に会い、好きなことを楽しめるようになる。
私は、そういう暮らしにつながる治療をしていきたいと思っています。
※効果や感じ方は人によって異なります














